偽善に溺れて自己防衛

人生とはいつも人間性を試すテストばかり存在します。


さっき、セルフのガソリンスタンドに行ったらガソリン清算機のつり銭口に約400円のお金が。
ココで俺の良心と悪魔が囁きだした。
良心「貰っちゃダメよ。奥の事務所にお金を渡しに行きましょ」
悪魔「いいじゃん、金に名前なんか書いてないし、この金って丁度今のガソリン代だぜ。神の恩恵だと思ってありがたく戴いておけよ」
うーーーーーん。


悩む事3分。後方で俺が出る事を待ち望む車の列が……。
仕方ない!!!


「おじさーん、ここに取り残しのつり銭があったよ」


と、掃除をしていたスタッフのおじさんを呼ぶ俺。いそいそと俺の元に駆け寄るおっさんに「まぁ、これは俺の偽善だけどね」と捨て台詞を吐きながらおっさんにそのつり銭を渡す。おっさんのはぁ、そう。の声を聴いた後、何事も無かったように自腹を切ってガソリンを入れ、後車に会釈して店を出る俺。
帰宅途中に信号に止まれば「これでよかったのか。決して俺は金持ちの部類には入っていない。でも、あそこで金を貰ってしまったらそれこそ俺の微々たるプライドを捨ててしまう結果になってしまったのでは。でも、400円は勿体無かったな。アレがあれば千円札を崩す事は無かった。そして、俺が渡したおっさんはちゃんとあのお金を会社に渡すのだろうか、自分のポケットに突っ込んで仕事終わりの缶ビールになってしまうのではないか。それじゃ、俺は誰の為に善行を……」と、腕を組み長考。
答は結局、「アレが会社のお金になって売り上げの増大、それに伴いガソリン価格の一円でも値下げに繋がればそれは常連の俺としては得だし、もし仮におっさんの金になってもその金を使って帰宅後の缶ビール代になってもおじさんが、ビール美味いな。明日もガンバろ。って思ってくれればそれはそれでOKだな。だって俺は何も損してないもんね。そうさ、こうゆう小さな善行を誰も見ていなくても神様的超越者が見ていてくれて、きっとその後の死ぬようなトラブルがその超越者が持ちうる能力によって死ぬが、死ぬかもまでにしてくれるさ」
と、自分の偽善に対してのめちゃくちゃな自己弁解を喋り、自己完結を促しました。
そうさ、良い事をすれば良い事が返ってくるよ。
と、小学生のような純粋な気持ちで帰宅しました。



今日図書館で借りた本
末永直海『合鍵の森』
舞城王太郎『煙か土か食べ物』
島田紀夫『アルフォンス・ミュシャ作品集』
バイトがあると本が読めんでムカつくぜ。