無意味な終わりをそのまま愛し、受け入れよ

友達の家でwiiの「バイオハザード」をやったら、肩を痛めた。
上手く腕が掲げられない。
何故かパソコンを打つ事も困難になりつつある。
お終いである。
反射神経とフラグ回収がゲームの達人と呼ばれた旧時代から、新人類、現在の新型ゲーム機には強靭な体力、wiiのヌンチャクリモコンを長時間振り回す俊敏さが求められるとは。
古い人間は、ゲームをするなという警告が見れて取れる。
お終いである。
こうなっては、お終いである。
私のような古い人間は去らなければならない、駆逐されなければならない氷河期の到来である。
どのくらいお終いかと言えば、
今更「鷲宮町」が「らき☆すた」で村おこしを企むくらいお終いである。
二期の製作が決定された「涼宮ハルヒの憂鬱」を肖って「西宮市」が村おこしなら、百歩譲って分かるが、既に放送が終了してしまった「らき☆すた」で村おこしとは……。さすが役所・公共、仕事が遅い。
聖地巡礼騒ぎの時に気付けばよかったのに……)
ともかく、お終いである。
しかし、お終いならば始まりである。
かの偉人、森田和義は、打ち切りになる番組で「まぁ、終わりがあればまた始まりますから」と名言を吐いた。と、思う。
終わりの始まり。
始まりの終わりである。