魍魎の匣

見終わって満足感一杯の胸で帰路に着く時、小生は生きていて本当によかったと実感した。
それと同時に、小生は家族や友人の為ではなく良い映画を観た時に・知的探究心が満足した時に生きる実感を覚える事に本当にダメな人間だと再確認した。
きっとこの世から文化や謎が無くなったら死ぬのだろうと思った。



あらすじ:美少女誘拐事件・新興宗教・連続バラバラ殺人。なにも接点の無い三つの事柄が、『匣(箱)』というキーワードで繋がり始めた時、真の事件が起こる。
感想:あえて京極夏彦作品に手を出さないでいた小生は、原作と比べることなく映画を堪能できた。原作を知らずともこの約2時間半の映画は纏まっていなかった。所々、監督の「この言葉で察してください」という場面がみえたが、まぁ許せる範囲だしちゃんと見ていれば問題なく分かるモノだった。
これは小生の持論だが「良い物語には悪がいない」
勧善懲悪を嫌う訳ではないが、良い作品とは出演者各々が己や愛する人を幸せにするために努力する過程で衝突や軋轢が生じ、最終的にはみなが何処かを傷つき終わるものだと思う。
この作品にはそれがあった。
京極堂は「魍魎が憑いている」と終始言っていたが、主観的に見れば誰も憑いておらず、客観的には誰もが魍魎(過去やエゴ)が憑いているのだ。
みなさん、この決して一般受けしないであろう映画を是非ご覧ください。


ここから蛇足とネタバレ
映画のキーワードはタイトル通りに「匣(箱)」である。
ひぐらしのなく頃に」に於いてフレデリカの詩でこうゆうものがある。

どうかこの夜に何があったか教えてください。
それは例えるなら猫を詰めた箱。

どうかこの夜に何があったか教えてください。
箱の中の猫は、生か死かすらもわからない。

どうかあの夜に何があったか教えてください。
箱の中の猫は、死んでいたのです。

これは、シュレディンガーの猫の話を捩ったものだ。
この詩は猫からの主観的なものである。
箱に入った猫が箱の外の状態を知りたいと願ったものであるのに対して、「魍魎の匣」は箱の中身を知ろうとする者達の苦悩で渦まいている。
これは、魔人探偵脳噛ネウロに登場するサイが殺した人間を箱に詰める作業の方に似ている。(つーかぱくり?)
サイは超人的な能力から、自己を失い他者を解体する事によって自分を知ろうとする。
猫繋がりではないが、「魍魎の匣」での教訓は『好奇心は猫をも殺す』なのかもしれない。