嫌いになるって事は覚悟を用いる。

真面目に書きます。



人間とは多面性を持つ生命で。学園一の不良が雨に濡れている子猫を助けたりするように、いろいろな感情や表情あらわし、さまざまな行動をします。それにより相反する行動を行うことによって「矛盾している」とか「優柔不断」とか言われる事もありますでしょうが、それが人間だと思います。


そんでもって、本題。
仕事中に後輩が不意に「○○さん、嫌いなんです」と言う。確かに、○○さんは人のミスには厳しいし、小言も多い。彼が嫌いだという理由も自ずとそこら辺だと思う。
しかし、後輩と○○さんが組んで仕事をしたことは未だに一度たりともない。
つまり後輩は引継ぎの際に○○さんから言われる小言や説教によって、○○さんを嫌いになったと思われる。
そして、私の場合。
私は○○さんと仕事を共にする事が多い。確かに最初は○○さんの小言に嫌な気持ちもあったが、○○さんは新妻をいびる小姑ではないので、小言にもちゃんとした理由があるし、○○さん自体も別に説教好きだというわけでもない。つまりは仕事に慣れていない後輩がミスを起こさないように注意を込めた小言なのである。ようは、「愛のあるダメだし」というわけだ。
私はその事に気付いたというか、仕事中の○○さんとの会話によってそれを窺い知れた。


つまりは、後輩は○○さんと数分の接触を持って○○さんを嫌いだと認定したのだ。
これはとても凄い事だし、とても残念なことである。
○○さんの一面を観ただけで、「この人はこうゆう人」だと認定するのはよほどの覚悟があるか、はたまた人間というものをゲーム上の登場人物のように一面性しか持たないモノだと決め付けるバカである。
「人と人が100%分かり合えない」事はブログ上でたびたび書いているのでそこら辺は割愛するが、
努力する事によって100%に近づけることは出来る。彼の行為は「政治家は税金で私腹を肥やしている」とか「アイドルはみんな枕営業をしている」とか「渋谷にいる茶髪でサーファー気取りの男は頭が悪い」と言う行為となんら変わらない。それはもしかしたら正しい事かもしれないけど、それを確かめもしないで誰かの言う事や1人を見て全てを知ったように思う事は間違っていると思う。


後輩がバカでない事を考えたとして、後輩は○○さんを1%も知らない状態で嫌いだと明言する事はきっとよほどの覚悟を持ってのことだろう。*1
「嫌い」と決め付けたモノがふとしたときに「好き」になった場合、今までの自分を否定しなければならないからだ。


ともかく、後輩のその発言を聞いた僕は上記の思った事を口にはしなかった。ただ、適当に笑って話を流した。
なぜなら、僕は真に後輩が好きではないからだ。
後輩はまだ本当に嫌っている人が行う最低の行為を知らないのだろう。
『何も教えない・理解を示さない』という最低の行為を。