スタート

昨日の深夜。
コバチはラジカセの前でヘッドホンをして体を左右に揺らしていた。そんな事いつもの事なのでビオランテは無視をして本棚から鉄腕ガールを取り出し、コバチを気にしつつも読書を始めた。
テレビからは誰かに向けた選挙速報が流れている、二人はどちらも気にしない。いや、興味が無い。
テレビが次々に当確を伝えるなか、コバチは体の揺れを止めヘッドホンを外した。コバチは一呼吸おくとベッドに寄り掛かりながら漫画を読むビオランテに言い寄った。
KREVAの「スタート」最高だよ。ビオランテは聴いた?良いよぉ。このトラックにリリック、kickの時のアンバランスような温い雰囲気なのに内容は芯の通った内容のリリック。「音色」から始まった恋が「スタート」で終わった感じ。ほんといい曲だよ」
コバチの熱のこもったコメントにビオランテは読書に集中できず、イラつきながらも答える。
「はいはい、よかったね。私も後で聴くから、今は漫画読ませてよ!」
「本なんかいつでも読めるじゃん。それより、この曲をテーマに寸劇をしようよ」
コバチは目を輝かせる、それはまるでショーウインドウに飾られた玩具をみる子供ような純粋な目でビオランテを見つめた。
「えっ、寸劇?……面倒臭いなぁ」
「いいじゃん、しようよー。してくれなきゃイヤだぁ!!!!」
コバチは裏返した亀のような姿になり、ジタバタと暴れた。その姿は玩具を母親に欲しがる子供のようだった。
「いい年なのに何やっているの?そんなのだから、さっきもお母さんにいい加減就活しなさいと怒られるんだよ。もう本当にいい加減にしなよ」
ビオランテは冷静だった。コバチをこれ以上好き勝手にしてはコバチよりもコバチの家族が困る事が見えていたからだ。これもビオランテからの愛の鞭だった。
「うぅ……。あぁ、わかったよ。もう俺死ぬ!!!ココから飛び降りて死んでやるよ。じいちゃんが俺に生命保険かけてあるって昔言ってたから、これで邪魔な俺が死んで家族には金が入って万万歳だろ!!!」
コバチは窓に開けるとベランダに身を乗り上げた。
ビオランテは急いでコバチの腰を掴むと驚きながら話す。
「こ、コバチさん。ここは二階だから、上手く落ちないと死なないのよ、ここで飛び降りたら中途半端に腕とかアバラ骨折って、中途半端に入院して、中途半端に留年よ。そんなことになったら、それこそコバチさんのようなバカ……あっ、繊細な心じゃ耐えられない。ほんとに自殺しちゃうでしょ。止めて、分かったから寸劇するから……」
「じゃあ、止めた」
あっさりコバチはベランダを降りると部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。
ビオランテはここでやっと分かった。コバチに騙されていた事に、コバチは本当には死にたくなかったのに死ぬなど狂言自殺を演じて自分の意見を無理やり通した事に。
ビオランテはこんな茶番に引っ掛かった自分の不甲斐なさにコブシを握り締めた。
「じゃあ、ビオランテ俺が作ったこの台本通りに演じてくれよ。おい、聞いてるのか?」
「聞いてるわよっ!!このダメ人間っ!!」
「何怒ってんだ?とにかく始めるぞ」
ビオランテは無言でコバチから台本を奪い取った。




『スタート』

彼氏役 コバチ
彼女役 ビオランテ

――コバチビオランテと付き合い始めて、はや三年、二人の中は出逢った当初のような熱さがなくなっていた。コバチはこの関係に不満は無かったがよい気持ちにもなれなかった。だから、時にビオランテにあたった。悪いとは分かっていてもその言葉すら言う事が出来なくなっていた。ビオランテなら察してくれると信じていた。

ファミリーレストランの前に一台のバイクが止まった。
コバチはヘルネットを脱ぐと、急いで店内に入った。窓際の席でビオランテが俯きながらゆっくりとコーヒーをかき混ぜていた。
「ゴメンゴメン。道が込んでいてさぁ遅れちゃった。待った?」
コバチは苦笑いをしながらビオランテに訊いた。ビオランテは「別に」とふてくされたように呟いた。
「あっ、そう?それで、今日は何?急にメールで呼び出されたんだけど……。ビオランテ怒ってる?」
コバチは頭を下げビオランテの顔を上目使いに確認しようとしたが、ビオランテは顔を逸らした。
「そんな事無いよ。それより、今日は大事な話があるんだ……」
「何だよ?」
コバチはウエイトレスにアイスコーヒーを注文しながら尋ねる。
ビオランテは、ばっと顔を上げコバチを見つめた。ビオランテの目は赤くなり顔は強張っていた。
「もう、もう私達の関係終わりにしようよ。もう別れよ」
ビオランテの一言はコバチを凍らした。
「……何でだよ」
コバチは喉の奥から捻り出すように無理やり声を出した。
「私達、お互いに依存しすぎたと思うんだ。私ね、来年東京に行こうと思っているしコバチ君は遠距離恋愛とか無理なタイプでしょ?もう終わりにしよ」
ビオランテは頬を指でポリポリと掻いて苦笑いをした。
その顔の前にコバチは言い返せる言葉を無くしてしまった。本当は言いたい事も伝えたい思いもあるのに声が出なかった。
「ここのファミレス、私達が始めて出逢った所だったの覚えてる?コバチ君がここでバイトしていた私に地図持ち出して、必死な顔して「ココって地図だと何処ですか?」なんて訊いたのが始めての出会いだったよね」
ビオランテは昔を懐かしむように窓の外を眺めて昔話を話し始めた。コバチは「やめてくれ!」「そんな昔の事より未来の話をしよう」と言いたかったがまだ声が出なかった。
「いろんな事があったよね。三年間、本当に楽しかったよね」
ビオランテはくすりと笑うとゆっくりコーヒーを飲んだ。
コバチはやっと分かった。全ては終わっていたのだ。ビオランテとの恋愛も俺らの関係も未来も……。コバチは声の出し方を思い出していたでも声を出さなかった。これがビオランテの出した答えなら、これがビオランテの幸せなのだ。俺はただその幸せを祈るしか出来ない。もう言いたい事など無い。いや、元々言いたい事なんて無かったんだ。
ビオランテは腕時計を見ると急にアタフタしてバックから財布を取り出すと千円札を一枚テーブルに置いた。
「もう、こんな時間。ごめん。この後、用事があるんだ。本当に今までありがとう。そして……さよなら。でっかくなりなよ」
ビオランテは優しくコバチを諭すように言うと席を立った。
ビオランテが出て行った後、コバチの目からやっと涙がこぼれた。
「遅すぎ……」
きっとこれで良いんだ。ここで別れなかったらもっと悪い結末になっていた。きっと今がいいタイミングなんだ。
また、ここから始めよう   スタート……。

≪了≫


ビオランテ「それで、結局何が言いたいわけ?」
コバチ「だから、みんなKREVAのスタートを聴けってこと!!」
ビオランテ「あっそ」


スタート(初回限定盤)(DVD付)

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執筆時間、二時間半。指が痛いです。