完璧は傲慢

最近聞いた話だけど、友人の一人が入社式の後日に会社を辞めたらしい。離職の速さに驚いた。と思えば、ある友人は会社を辞めたいが辞めた後の求職活動が面倒臭いので辞めないらしい。
はて、ここで思ったのだがどちらが正しい行動だろう?
自分に合わないと思えばすぐに辞め自分に合う会社を探す人と、辞めた後の事を考えてやりがいの無い会社に勤める人。
物事に全く正しいといえる事なんて何も無いが、僕が思うに前者の人は正しいと思う。いや、正しいという評価よりも怠けていないと思う。勤勉だ。
後者の人を悪く言うつもりは無い。求職活動をしている僕はいくらテレビが求人率が増加したなんて言っていても昨今の求職の辛さは分かるし、仕事に安定を求めるなら普通はこうする。仕事とは何処かで耐える事だと思う。
しかし、後者の人は何も考えてない。思考を停止している。目の前の面倒な事から目を逸らしてその場しのぎの生活に依存している。つまりは怠けている。
『忍耐(耐える)』を美化するのも日本文化によくある事だけど、耐える事は決して美しいものではない。自分を殺して耐えていればいつか幸せになれるなんて単なる妄想だ。耐える事は世界に合わない自分を無理して合わせる事である。世界を自分に合わせようと考えず、また自分に合う場所に移動しようともせず、無理やり合わせる。
これまたある友人から聞いた話だけど、友人が仕事について意見をしたらしい。すると彼の上司は「そうゆう事は偉くなってから言いなさい」と一喝した。
上下関係が出来ていたり、体育会系だったり、老舗の会社ほどこのように昔からあるルールというものに縛られている。ここで思うことは彼の上司が悪いという点ではないことだ。上司が言った事は、たぶん上司も昔、新人だった時にその時の上司に言われたのだろう。つまりは上司は昔からの言葉を下の者に繋げただけだ。昔から培った知識や経験というものは確かに必要である。常に世の流れに流されてその都度形を変えることは決してよい事だけではない。しかしマニュアルのみを正しいと思い、盲目的に歴史を繋げる事は全く正しくない事であると思う。でも、受動的な人にこんな話をしても馬耳東風だけどね。


えぇーと、つまりは会社を辞めた友人はカッコいいなぁ。そしてその空いた席に俺を入れてくれよ。と思うことと、変化を恐れたら何も出来ないぜって事。