劇場への招待

芸の道のマニュアルは無い。
コレさえ出来ればお前は絶対に売れるという本は無い。そう歌っている本はあるけどそれ通りにしても絶対に売れない。何故なら自分が無いから。
でも、そんな本は多いい。例えばギターの練習法が載っている教材本。確かにそれを全てマスターすればギターは上手くなるけど世界一のギターリストになるには、それとは違う練習が必要だと思う。
てことで、去年読んだ小説の書き方の本は最悪だった。(保坂和志さんは別、アレはいい本だった)小説の書き方を起承転結からストーリー展開仕方までネチネチ書いてある酷い本だった。確かにあの本通りに書けば上手い小説は書けると思うが、出来た作品って優等生的な物で、読みたいと思わせる作品とは違う物ができてしまう、つまりは個性を殺した作品。
てとこで、そんな酷い本の一節に「キャラクター設定は履歴書書けるまで詳しく書け」があった。おいらは「アホちゃうの?人間なんぞ、その時その時によって意見が変わったり変化する生き物なんだかそんなんいらんし、キャラ固定するし、書いたキャラの歴史全部小説にいれようとしてしまうから滅茶苦茶になるやん」と嘘関西弁でバカにしましたが、某小説家志望のサイトで本と同じような事が書かれていてちょっと最近迷っていた。
そんな時見た。今日の『劇場への招待』、途中から見たが山田太一×風間杜夫の対談にて俺の迷いの回答が言われていた。
脚本家山田太一さん曰く「設定なんて曖昧でいい。人物設定をキッチリしてしまうと演じる役者が固まってしまう」「人物を完璧に作るなんて作家の傲慢」「観客に感じさせる程度でいい」なんて事を言っていまして、えぇー。よかった。「完璧は傲慢」なんてかっこよすぎて深くうなずいた。ええもん見れて良かった。
人付き合いも同じだと思う、「あの人は悪い奴」「あいつはアホ」「彼は頭がいい」なんて思い込んで人と付き合うなって事さ。



あぁーー最近、おれって説教臭い