こたえは出ない。≪女性恐怖症についての考察≫

女性恐怖症と全面的に向き合わなければいけないと決意した。
芸恋リアルで岩尾に彼女が出来た。
不細工なのに彼女が出来た。
若ハゲなのに彼女が出来た。
俺は彼女なんてもう一生出来ないだろうと確信する。
女性などクソじゃ!!!女なんてみんな顔だけのイケメンにほいほい騙されるバカじゃい!!
と口を尖がらせてテレビに向い叫んだあの夜を忘れない。
でも、面が悪くても岩尾の例をとれば名声とか所持金とか肩書きとか、芸能人ってちょー格好よくない?なんていうレッテルで彼女が出来る事を知り、もっと女性なんてクソじゃ!!と口角沫飛ばし叫んだ。
俺はニートだし金もなければ権威も無い。自家用車も親父に奪われて原付こそがマイカー。誇れるものが何も無い。
そんな俺に彼女が出来るわけが無いじゃないか!?
一生一人暮らし、煎餅布団で孤独死がお似合いさ。
高校時代に彼女が出来た為に一度モテ男サイドに堕ちた過去の自分を激しく嫌悪する。
あれは神が与えた一時のチャンスだったんだ。それも見逃し三振でバッターアウトさ。



思うが侭にタイピングした上記の文を冷静になり書き直します。

つまりは、自分がある時期から異常に女性という人種に恐怖を抱いた理由を述べれば、それは、過去の世間を知らないピュアな高校生の僕は、女性という存在を神格化していたことにある。女性とは聖性により存在すると、常に優しい者だと純愛を求める者だと認識をしていた。しかしながら、ちょっと世間を知ったある日、女性とは時に後先を考えず悪い男(自己の欲望のみを糧に動き他者を思いやる気持ちや先見の目が無い者)のちょいとした口車に騙され、いや騙された事を心中では察しながらもその場の悪い男の囁く、イブに林檎を食えと言った蛇のような甘露な誘惑に身を任せて、その場だけの快楽に身を委ねるという事態を安易に成しえる存在だと気付いた。
僕は狂いたかった。今、思えば女性とて人間だ。気持ちが揺らぎやすい日だってあるだろうし、享楽に溺れないほどのカルカッタの修行僧のような強靭な魂があるかと言えば全員にそれを求める事は傲慢だと思う。
しかし、当時の僕はアホだった為苦しんだ。出会う女性全てが、いかに優しい言葉を吐こうと、その裏ではちゃら男にころりとやられる存在だと思って仕方なかった。全ての女性を落伍者に見えてしまう僕は、自己の思い上がった偏見から女性を避けた。避け続けて脳内彼女を作り自分の脳内で恋愛の真似事を行なった。これが正常の男子の姿ではないと分かっていたが、しかし女性とは所詮裏切る者。その葛藤は次第に自己欠点を見付けてはそれを理由にして俺は一生女性とは付き合えない自分に言い聞かせた。
そして今に至る。
ここまで自己分析をした結果思う事は、死ねばいいじゃん!!って事。
つまりは自分の勝手な偏見により生んだ女性像を壊す出来事などもう起こらないだろうし、俺自身それを壊してまで女性と接したいとは思わない。
では、前々から書かれている元カノの場合はどうだろう?
いままでの流れからすれば、真っ先に軽蔑するべき存在な訳だけど、知り合ってから9年、数々裏切られて、こっちの奉仕に対する見返りを忘れ続けられた。
しかし、関係を絶とうとは思わない。
何故か、それはは一つに彼女を異性と認識していないのではないかと思う。9年間の付き合いと言えば、もし恋愛関係が持続していれば結婚してもおかしくない。その長期的なお互いの観測によりお互いを兄弟感覚にしてしまったのではないか。確かに僕は妹とは普通に喋れる。それは異性という目で妹を見ないからだ。元カノもそのようにお互いそこらの友人よりもお互いを知りえている為にある種の連帯感を覚えたのではないかと推測する。つまりは元カノは血の繋がらない姉(妹)という認識をしている為に僕は恐怖も嫌悪もしないのではないか。
しかし、実の妹の誕生日など覚えていないし、覚えていてもプレゼントを贈りたいとは考えない。でも、元カノの誕生日が近づくにつれ僕は焦燥感を覚える。これは何か?昔のように恋愛視しているのではないか。僕は未だに昔の恋を引きづるしみったれたクソ野郎なのか。「最愛の姉(妹)」と思っているのか。裏切られる事に快感を覚えるマゾなのか。
長考しても答えは出なかった。
もしかすると、未だに元カノのみを神格化しているのかもしれない。何かをあげた時にお返しに中学の時から変らずクッキーをくれる事を神からの祝福と思い違っているのかもしれない。しかし、何故にクッキー。それもたまに手作り、たまにスチール缶に入った豪勢な物。そうかと思えばある日はコンビニで買ったクッキー三枚。こんなにクッキーを食えと意思表示をするのはもしかしたら、お前はクッキーを食ってデブになれ!!という思惑があるのかもしれない。または記憶に無いが出会った当初に僕が「クッキー大好き」と発言したのかもしれない。これも答えは出ない。
話が脱線したが、
とにかく元カノはそこらを歩く女性と差別化していることは確かだ。
長期間の友人として今後の付き合いを潤滑に行なって行けばいいのだろうか。
それとも自己欠陥(無職とか金が無いとか車の有無とか努力でどうにかなる部分)を改善して彼女との復縁を望む、又は他の女性に自己の思い上がった神格化した部分を求めるべきか。
または全てのしがらみを一蹴して、真の個人として孤独に人生を終えるべきか。
答えはまだ出そうにない。自己分析によれば、僕は孤独に対する耐性を持っていない。伴侶を求める心がある内に真人間への階段を着実に登ることが今出来る精一杯の建設的行動に思える。

恋人にならないで女を知ろうというのは、
ちょうど釣りをする男が河の上で釣り糸を振り回しただけなのに、
もう魚を知った気になるようなものである。
                        byルナール