進歩よりも進化

雨が降っている。それも霧雨程度の微妙な雨量。
ここで悩んだ。
この温い雨の中で原付を飛ばし友人が勤務する眼鏡店に行くべきだろうか。
それとも、雨が降っているのだから昨日の計画を頓挫して履歴書書くなり、漢検の勉強をするなり、信長の野望をプレイするなり室内で出来る事をすべきか。
もし、雨の中原付で向かったとしよう。霧雨程度の雨の中を時速50キロで進んだ場合、俺が目的地に着いた時はきっと着ている衣服がじっとりと濡れているだろう。それならば合羽などの雨具を、又は着替えの衣類を持って出かけたらどうだ。いや、もし行く道筋に問題なくとも、行った眼鏡店で友人が誰かに接客していたら、きっと俺には他の店員が接客するだろう。しかし、俺の所持金ではその見知らぬ店員が薦めるお洒落眼鏡を買うことは出来ない。つまりはアホを晒して手ぶらで帰らなくてはいけないのだ。もしかすると友人にも迷惑を掛けるかも知れない。なら、家で過ごすか……。でも、それでいいのか? そんな天候で俺は自分のスケジュールを変更するようなお偉い存在なのか、雨天中止って俺は運動会か? それでいいのか、もっと雨が降りこれはどう見ても行けないなら気が済む。または日本晴れになっても、せめて雨が上がってくれさえすれば行く気になる。
窓の外で小鳥が囀る。
俺はどうすればいいのだろうか?
こういう点に俺の自堕落な人生の問題点が隠されているように思われて仕方ない。頭では全く気にしていないが、昨日の面接官が言ったセリフが時たまプレイバックする。いま行なっている努力が単なる時間潰しであり、何の意味も持たない無意味な事に思われて仕方ない。このままでは俺はダメになると懊悩する。
昨日、投函した履歴書が送った先に届かないというよく分からない脅迫概念が生まれた。
信長の野望』なんて昨日午後11時に一時間ほどプレイした。とても面白かったがたぶんもう出来ない。ゲームをするという真の意味での時間潰しを世間が動いている時に自分がのうのうと遊ぶなんて死んでもダメだ。それは恥ずべきものだ。
恐怖とは自分で振り払うモノだと思うが、その恐怖の所在が分からないのならどうしたらいい。もし、その恐怖が過去の軋轢より生まれいでたモノなら俺は何処で誰と戦うべきなんだ。過去には戻れない。未来はまだ分からない。分かるのは、理解出来るのは、変えられるのは現在だけだ。


とにかく、俺はニャグニャの世界に沈んでいく。
評価などきっと成し遂げた者にしか与えられない賞賛だ。


いや、これは単なるナルシズムだ。自己陶酔、自己欺瞞
全ての答えは俺の中に存在している。
これは罰だ。
神より授かりし罰であり、成長への乗り越えるべき障害だ。
人生とは映画と違う、俺は主人公だが脚本家でもある。演出家でもあるし、監督でも主演でもある。
変えるべきは憎むべきは世界ではなく、自分自身の中にある。
これは自傷ではない。戦う相手などもういるのだ、過去にも未来でない。ましては現在でもない。時間は関係ない。ようは変化だ進歩と進化の違いは、進歩とは歩むが如くゆっくり変化する。しかし、進化とはきっかけだ進化なんて一瞬に終わる一瞬で新たな物へと変化する。自己の進化を推し進めるのだ。他者や世界などを理由に愚図る事は無い。進む事は要らなかったようは目的だ。100キロ先に行く場所、情緒や風景、旅の楽しみなどと言って徒歩で進む事は無い。時間や経過は関係ない、100キロ先に行く事が大事なのだから飛行機でも新幹線でも使って100先により早く着けばいいのだ。さすれば最初に着いた者が先駆者と呼ばれ、後者から礼賛される。最初に着いた者が進化した者だ。