ご先祖様ごめんなさい。

今日はお盆な訳だが、
俺が晴天下の爽やかな一日中考えていた事は、『馬糞ウニ』についてである。
『馬糞ウニ』言わずと知れた海洋生物海栗の一種である。その様態・見た目が馬糞と似ている為に『馬糞ウニ』と名づけられた訳なだが、確か俺が初めて『馬糞ウニ』を知ったのは小学性時分の図書館であった。『海の生物図鑑』と題された図鑑を友人各位と興味本位に見ていた所、その奇怪かつ変容な名前に見ていた我らは目を丸くしてお互いに顔を見合わせ、堰を切ったように笑った。「馬糞ウニってww」「臭そうゲラゲラ」「喰いたくねぇ〜〜」と。そして、数年後、小学校の小旅行にて牧場に行った時、今度は「馬糞」とリアルに出会った。俺の町はド田舎で牛を飼う百姓が多くいて梅雨の時期になればその牛の住む牛舎より湿った風に運ばれて牛糞の匂いが立ち込め、道を歩けば牛の糞などはちょくちょく転がっていた。しかし、馬はこの平成の世、儲からないらしく飼う者はいなかった。
牧場で見た「馬糞」は乗馬コーナーを誰も乗せずにのそのそ歩く馬がケツよりボタボタと落としていた物なのだが、その湯気立つ「馬糞」は俺のイメージしていた物とは大きく違い、「馬糞ウニ」と見間違える訳が無いほどグニョっとしていた。それに馬糞ウニと違い棘も無い。藁を棘と見間違えるほど藁も無い。さすれば、過去の「馬糞ウニ」を発見そして命名した偉大な学者は俺のような凡人とは違い広大な想像力の持ち主か、「ゲヘヘヘ、この海栗ってさぁ馬糞みくね?」「あぁ(携帯をいじりながら適当に相槌)」「じゃあさ、これって『馬糞ウニ』って名付けようぜ!」「えぇ?それってやばくねぇ?」「いいじゃん、俺が見つけたんだから。これも青春の一ページってヤツ?ゲヘヘヘ」と適当に名付けたか、「馬糞」の氏を持つ学者が見つけたのか、のどれかだろう。
しかし、名付けられた「馬糞ウニ」にとってはいい迷惑な話だ。海栗に声帯や思考・言語を司る脳や器官があるかどうかは知らないが、もし有り我ら人類と喋る稀有な機会を得た時、彼らは自分達が家畜の排出物の字を持つと知った時、たぶん、いや決して我ら人類と仲良くなろうと思いはしないだろう。それは誰もが小学生の時に、些細な出来事により謂れもない卑猥・下品なあだ名を付けられてしまったと言うイベントにより共感は出来るはずだ。もしアメリカンスクールや諸外国出身ならば、両親又は祖父母によって生まれて初めて与えられる自己の名を、仮に「ミラ・ジョヴォヴィッチ」とすれば、その聖なる名を赤の他人によって「うんこ・ジョヴォヴィッチ」と勝手に改名され、世間に公開されるという事になる。悲惨である。どんな素敵な映画にでも、細木なんたらの脅迫によって改名しても、さま〜ずと対決しても、落語家になり10代目林家正蔵を襲名しても、世間じゃ彼女をこう呼ぶ。あぁ、彼女って昔「うんこ・ジョヴォヴィッチ」の人でしょ、と。
とどのつまり、俺が今日一日DVDを返しに行ったTSUTAYAでも、はしごした書店で『時をかける少女』のシナリオブックを読んでいる時も、その帰りによった床屋でも、近所のコンビニでアイスを買っている時も、帰宅してアイスを食いながらゲームをやっている時も、夕飯を食した後読書をしながらも、考えることは「馬糞ウニ」の事であった。あぁ、馬糞ウニと人類の親交を深める手段はどうしたらいいだろうか?
はいはい、戯言戯言。