古見マドカと必要性2

 マドカはその言葉を聞くとまるでスイッチの切れた人形のようにベッドに倒れ込む。大丈夫か?と心配になって覗き込むとマドカは満足したようで満面の笑みで微笑んでいた。
 それから数日後、マドカの事なんかすっかり忘れて、俺は後期テストに向けて友人のノートを写したり、山を張って暗記したりしていた。そんな学校の帰り道、クラスメイトの小松響子と一緒に帰っていると、響子が俺に寄り添うように肩を並べるので、こいつ俺に気が合うのか?と勘違いを起こしそうになったその時、響子が口元を手で押さえて訊ねた。
「ねぇ、後ろのヤバそうな子、知り合い?なんか凄い目でこっち睨んでいるんだけどさ」
 俺は驚いて振り返ると、後ろにはマドカが立っていた。夕日が彼女の右手を輝かせる。指輪が夕日に反射しているのかと思ったが、目を凝らして見れば反射物が抜き身の剃刀だと気付く。
 脳裏に振り下ろされる剃刀と血だらけの視界が広がる。
「マ、マドカ。やめろ」
「し、死んでやる!」
 マドカは左手に剃刀を当てる。
「それもやめろ!!!」
 飛び掛りマドカの手から剃刀を奪い取り生垣の向こうに投げる。
「キャハハハ、これってもしかして修羅場?」
 響子はそんな俺達を笑い飛ばす。
「お前はもういいから。先に帰れ」
「はいはい、そんなに怒らなくたって帰りますよ」
 響子は面白い物が見れたと言わんばかりの笑顔で滞空時間の長いスキップをしながら夕日に向かって飛び跳ねて帰っていった。
 響子が見えなくなった辺りでマドカが泣き出した。俺は涙を流す女の子の扱いが分からなくて、ただ無心に「ごめんね」を繰り返すダメな男だった。
 その事以来、マドカは常に俺をストーキングするようになった。登下校時には尾行するように俺の後ろを歩き、授業中ははどうだか知らないが、下校時間になると校門で俺の帰りを待っていた。家に帰れば、倒れていた場所で俺の部屋をキリストの像を祈る修道女のように見上げていた。俺はそんなマドカの常軌を逸した行動が気持ち悪くて、そして周囲にそんな変な女と知り合いと思われる事が恥ずかしくて無視をしていた。それでも、時々帰り道振り返ってマドカがちゃんとついてきているかどうかを確認したり、家の外で手首を切って倒れていないか心配してカーテンの隙間から外を覗く辺りが、行動に一貫性が無くて自己嫌悪になった。
 
 ある夜、外を覗くとマドカの姿がなく、いつもなら12時までいるのに今日は随分帰りが早いな。もしかしたら、俺の事諦めて違う男に必要性を求めた? と、笑いながらもちょっと嫉妬して、そんな嫉妬した自分に馬鹿らしさを覚えて部屋を出ると、祖父の部屋から祖父の大きな笑い声が響いていた。祖父がTVと話している(もちろんTVは答えてくれないから一方的な会話だけど)のはよくあることなので気に留めていなかったが、祖父の会話の合間にマドカの声がして、まさかと思い戸を開けるとそこには案の定、マドカがいてコタツに入りながら蜜柑をほうばっていた。俺が来たことにマドカは驚きながらも軽く会釈して微笑む。
「おう、マメが玄関先で凍えていたんさ。お前マメに今日餌あげたか?」
 祖父は本当にマドカを去年死んだ猫のマメと勘違いしているらしい。人間と猫を見間違えるなんてどうゆう脳をしているんだ。
「さみい夜なんか、猫を布団に入れて寝るともう電気毛布や湯たんぽなんかいらねぇくらいにあったけぇんだぞ。しってっか?」
「しらねぇーよ。それよりマドカ……」
「えっ、あぁ、おじいちゃんが入れって言うから」
 マドカはそう言うと申し訳なさそうに俯き蜜柑をゆっくり一房口に入れる。
「そうだマメ、今日は俺と一緒に寝るか?」
 マドカは祖父の何気ない発言に顔を真っ赤にして、俺のほうを見て、いいの?と訊くので俺は呆れてどうぞご勝手に。と答えた。
 その夜のことを、二人の寝室に行ってまで事の真相を知ろうと思うほど俺は下世話ではないでの真実は知らないが、次の日の朝、昨晩と変わらずに祖父の部屋で蜜柑を食うマドカの姿を見ると本当に二人で寝たらしい。
 いや、それにエロい意味が含まれているかどうかは知らんし、そんな事想像しただけで吐き気がするが。
 なにはともあれ、誰かに必要と思われたいマドカと、マドカを猫と勘違いをしているものの話し相手となり、寂しさを紛らわす相手を手に入れた祖父。両者が需要と供給が見事にマッチしたなんとも素晴らしき老人介護の姿だった。