『古見マドカと必要性』3

マドカが我が家に住み着きはや2週間。
 朝起きて布団から這い出ると、いつもと空気が変わっていた。キーンとしててまるで鋭利な刃物のように俺の肌に突き刺さる冷気。恐る恐るカーテンを開ければ一面の雪景色。初雪だ。俺は椅子に掛けたドテラを着込むと湧き上がる高揚感に誘われて庭に出てみた。いつになっても雪は何故にここまで心を躍らすのだろう。しんしんと降り積もる雪を眺めた。好奇心から未開の雪野に足を踏み入れて足先を濡らし、冷えた体を暖めようとコタツのある祖父の部屋に行くとマドカがいた。コタツに首まで入っていて一瞬生首が転がっているように見えた。
「なに、その格好?」
「寒いから」
 生首に見えた理由はきっとマドカの相変わらずな血色の悪い顔も原因の一つだろう。
「そんなにコタツに潜らなくても良くない?」
「私、猫だから寒さに弱いの」
「あぁ、マメだもんね」
「そうゆう事」
 マドカについては知らない事は多い。2週間も我が家にいるが一度も我が家を出た形跡が無い。また、家族や友人の話も一切語ろうとしないし、携帯を持っていないところからみるにうちの住人以外との連絡を取っているようには見れない。でも俺も祖父もそれを追及しない。(他人の過去など気にしないし、マドカが話したくなったらその時にちゃんと聞けばいいと思っている)しかしながら言葉にしなくてもマドカの存在は気になる所だ。もし、マドカが死んだ猫の生まれ変わりで生前優しくしてもらった祖父に感謝を述べにきたのであればそれはそれでいいし、はたまた猫ではなく、去年亡くなった祖母の生まれ変わりでもいいし、そんなファンタジー溢れる感動話ではなくて、ただの鬱病気味の普通の女の子でただ単に家に帰るのが嫌になって、たまたま助けてもらった俺に縋り付いているのならそれはそれで現実味のある話である。
日に日にマドカの存在を怪訝し始めた雪の降った日から数えて5日目の夜。その日も凍えるような寒さで中々寝付けないある晩。
 急に首元がヒヤッとして目を開けるとマドカが俺の腹の上に座りマウントポジションを取っていた。咄嗟の事で何か発言をしようとしたが、マドカの両手は俺の首をぎゅーぎゅー握り締めていて声を出そうにも「おごっ」とか「げぅ」なんて気の狂った蛙みたいな声しか出せないでいた。「おごっ」「げぅ」と呻り声を上げていると顎辺りに今度は水が滴ってきた。暗闇になれた俺の目がその水の発生源をマドカの目と目視出来た時、何故かこのまま殺されてもいいかも。なんて諦めが頭の中をクルクル走り出して口元から笑みがこぼれた。するとマドカは両の手を俺の首から離し今度は俺の頬を往復ビンタでもするかのように何度も何度も叩き始めて、叩きながら「なんで好きになってくれないの?」「もっと見てよ」「分かんない」「もっと分かってよ」と嗚咽交じりに呟いた。両頬が真っ赤に腫れている事が触らずも分かるほどに熱くなってきた時、マドカは叩き疲れたのか手の動きをやめて俺の上から立ち上がると俺のいる布団に入ってきた。俺は、マドカが入るスペースを空けようと端に移動してマドカに背を向ける。決してマドカの事を嫌ったり恐れているわけじゃなくて、(顔の腫れも含めて)どんな面をしてマドカと対面すればいいのか分からないでいた。マドカはそんな不甲斐ない俺の背中を抱き締めながらリズミカルにおでこを俺の背骨にコツコツぶつけて来た。
 それはマドカが寝るまで続いた。
 俺は、マドカの頭突きによってその夜は寝付くことが出来ず背中で感じるマドカの体温に触れながら、俺たちはもっと素直に自分の意見を表さなければならないと思う。マドカのこの暴力的で脅迫気味な告白だってもっと正しい姿の平和的な一般的な告白があったはずなのに、それを行使出来なかったのはきっと俺がもっと素直に正直にマドカと向き合い、自己の気持ちを表現できていなかったせいだ。


 次の日から、マドカは姿を消した。
 祖父はマドカがいなくなったショックでボケを悪化させた。深夜の徘徊癖がプラスされて夜になると部屋に監禁されるほどになった。
 俺といえば、決意した事を実行される前に認めてもらう相手を失くし茫然自失。テストも手に付かず赤点の嵐が吹き荒れた。
 正月になり、TVやラジオ、近所から親類まで口を揃えて「あけましておめでとうございます」なんて言っていても、世間の目を気にする両親によって祖父は部屋に監禁されたままで全く「開けていない」状態だった。俺も笑顔で「おめでとうございます」等と口が裂けても言えない胸中だった。ようは俺と祖父だけ喪中。祖父は二度目のマメの死で、俺は恋に破れて。