それはそうと、

「小松響子……」をまた書き始めたのだが、どうゆう内容だったのかすっかり忘れて読み返してみると、あまりの稚拙さに苦笑を超えて赤面してしまった。しかし、書き直すの面倒臭いからそのままで。
続きを書こうと、「創作ファイル」に挟んであると思うプロト(進行表)を探すが、見つからず、部屋中をひっかき回して、結局見つからず。そんなもんいらん、何故ならそれを書いた脳がここにあるからじゃ!!と脳みそを使ったところで思い出せずに。じゃあ、ここからまた作れば、結局は俺の脳が生み出したストーリーなんだから、同じになるんじゃない。と思ったが、同じ食材を使っても料理人の気迫次第で料理の出来は違うんじゃなかろうかと感じたが、もうそれしか案が出ず、仕方なくまたプロトを書く次第でございます。


それはそれとして、
人として軸がぶれている」のCDを借りに方々を歩いたがさすが田舎、何処にも売っていない。
道端で「絶望した」と叫んでも、本放送がされていない群馬では誰も分かってくれない。
仕方なく、行きつけの山田うどんでうどん食って帰ってきました。


それはそれとして、
銀杏BOYZが驚くほどに売れていて、何処も売り切れの札が貼られていた。
銀杏BOYZといえば、「人間」をよく歌ったなぁ。酔っ払いながら「人間」を歌ってさ。
そういえば、学生時代、こいつはきっと「天才」だと思わせる銀杏BOYZ好きの男がいたが彼は何をしているんだろうなぁ。懐かしい、銀杏BOYZを聴くとなんでこんなに懐かしい思いになるんだろう。それは、きっと銀杏BOYZがいつも青春を歌っているからだろう。青春を懐かしいと思わせるなんて俺は何時から青春から卒業したんだろう。
書きながら、ニコニコ使って「あいどんわなだい」を聴いた。
銀杏BOYZ全く変わってない。
峯田、今年で三十路なのに。青春に年齢は関係ないってことか、さすれば変わったのは俺か。何がどう変わったのだろう? 青春を過ぎ去った後の俺は何処に向かっているのだろう?