真面目に答えよ。誠実に行え。摯実に語れ。

「たたかいきれないお前は、ようやく今頃になって言い訳を探し始めている。
その病はお前が望んだものなんだぜ。
(中略)
地球に下りて、結婚して歳をくって、シリウスの輝きを見上げながら
「あの病気がなければ、今頃オレも……」
そう言い逃れる権利がお前は欲しかったんだろ」

上記の文は、プラネテスという漫画の一ページである。
空間喪失病に罹り、宇宙飛行士という仕事を辞めなければならなくなった主人公に、幻影が語りかえる言葉だ。主人公は自分専用の宇宙船を手に入れる事が夢なのだが、その夢の大きさ無謀さを幻影が喋りかける諦めろと、この病気が良い機会だと。



これを始めて読んだ俺は当時高校生だった。
特に夢も無く、希望も無く、熱意も無く、ただ毎日を過ごしていた。
読んだ後、俺は衝撃を受けた。
そして、誓った。
歳をくった後に「あの時、あれが無ければ今頃俺は……」と、絶対に言わない人生を送ろうと。
それ以来、後悔はしていない。
間違いは数多く犯したし、失敗もした。
でも、これでいいと思える。



話は変わる。
世界にはいろいろな漫画がある、アニメもある、映画も小説も絵画もスポーツも音楽も演劇も料理も、
自己を表現する方法は多種多様だ。
A君(極々一般的な人)がとある漫画を読む。そして、その漫画に対して「絵が汚い」とコメントをする、批判する、罵る、侮辱する。
その時、作者である漫画家がそれを聞いていてA君に対して「なら、お前がオレの漫画以上のものを描いてみろ」と言う。
これは正しい反論か?
答えはナンセンスだ。
もし仮に漫画家の主張が正しいと言うならば、漫画家の批判はそれ以上の漫画家がしなくてはならい事になる。しかし、漫画家の優劣など誰が出来る。明確なラインなんぞ存在しない。多数決で付けるなら、その多数決に加わる人々はどちらかを批判しなければならないのだから、争う両者より優っていなければならない。しかし、どうやって漫画家二人より優っている事を証明できる。売り上げか?人気度か?所得か?どれも一方的な価値観であり、それは絵の下手上手で成し得た功績か分からない。誰を選考者にするかの基準さえ無くなる。
つまりは、正式に批判できる存在なんていなくなる。
まぁ、簡潔に答えれば『日本は「表現の自由」があるのだから批判は自由だ』となるが、何でも法律で答えを出したのではつまらない。それならば、人が思考する楽しみが無い。ロボットと同じだ。それこそ馬鹿の一つ覚えだ。女の人に「アイラブユー」と言えば、ころりと恋に落ちると考えているのと同じだ。
批判は自由だ。根拠があろうと無かろうと自由だ。
しかし、「文句言うならお前が作れ」という反論はあまりに幼稚でお勧めできない。
何事も感謝からだ。特に実費を伴わないモノを観た時には。



P.S
第三弾MADを早朝にて完成
第四弾の構想がほぼ固まっているから早くブログに上げて片付けたいが、友人チェックの為日曜以降になります。

それはそうと、第一弾が200ヒットしてました。第二弾も190ヒットと皆様のお陰でございます。

P.S2
流行ってる曲に流行っているアニメを乗せればミリオンヒットだって夢じゃないんだよ。
お前の選曲はマイナーで少し古いからダメなんだ。
と言わざるを得ない。
ニコっていたらランキングに久しくハルヒMADが上がっていた。
編集が驚くほど上手かった。
もっと努力しよう。