OMOROに合えない毎日と、

PSPを持っているとついついゲームを無駄にしてしまうので友人宅に置いて一日経って思うが、小生は本当に暇人で。先日借りたDVDを観たら、序盤から見覚えのある箇所が見つかり、まさかと思ったら一度観たDVDだった。人生上、始めて「借りた事はあるDVDを借りる」という若年性痴呆の初期のような行動を起こして軽く自分に幻滅する。



それに伴ってか、それとも単にアホなのか。はたまたその両方かは分からないが。
舞城王太郎の評論を再読して、「天才の言う事は違うなぁー」とか「天才だから言える事だよなー」と始めて読んだような感動を得た。
そんでもって、舞城王太郎の『音楽とは100万枚セールスした曲でもあり、親父の鼻歌でもあり、中学生の下手糞なコピーバンドの演奏でもあるのに、文学はそこそこの技量・評価が無いと文学といえない。という変な垣根はいらなくね、もっと文学って自由でよくね』という文を読んで、「あーね、そして俺は大多数の人口がひしめき合っている垣根のコッチ側で、舞城はソッチ側なんだろうな」つーか、その垣根の飛び越え方って何?生まれた時から実は垣根があって、文才のある人は生まれつきソッチ側に生まれていてコッチ側には俺のようなダメ人間や普通の人が生まれるのであって、垣根と思っていたら天高く聳えるレンガ造りの重厚な壁なの。それが才能の差。そんな風に考える小生はまことにもってそれは思考停止の塊で。単なる愚痴と負け犬の遠吠えで。ベルリンの壁だって崩壊する世界だから、その内誰かや時代がその垣根をぶっ壊してくれて、文学の敷居なんて土間並に下がると他力本願を期待しているバカか。それとも、ケータイ小説が年間文庫ランキングで上位に食い込む時代だからもはや垣根なんて無いも同然だよ。消費者が程度が文学のような敷居の高さを求めていないんだよ。なんて悲しむべき現状を笑っていられる楽天家か。それとも、垣根のコッチ側でソッチ側に見つからないように、ひそひそ愚にも付かない2ビットの文字の羅列データの塊をひっそり存在証明をしないディスプレイの向こう側の存在に見せる事でオナニーをするナルシストか。いや、こんなブログを書く自体ナルシストである事は自覚しているつもりだが……。
ともかく、ちゃんとマジに自覚して垣根のコッチ側にいる小生はたぶんずっとコッチ側だと思われる。
なんか足りないのだ。
なにかが。分かるかい、朋輩(ニガー)。


追記1.
コードギアスを観れない環境にあった小生だが、携帯のワンセグ機能が予約録画まで出来る事に気付き、仕事終わりに無事に手のひらサイズの小窓でコードギアスが観れました。
凄く目が疲れるのが難点です。感想は後日。


追記2.
クラナド全話マラソン」はクラナドがどういうものかを「風子編」で小生なりに理解してしまったのでもうなんというか……アレです。


追記3.
モブ・ノリオに慣れてきて、最近では「○○なんだ。YO、朋輩(ニガー)」と言う事がマイブーム。ただ誰も分かってくれない。


追記4.
有線で聴いた。サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」のカヴァーがあまりに酷くてイライラした。
あぁ、「bird」じゃなくて「Cover Lover Project feat. Bon Voyage」の方の人。
みんな聴いてみれば、アレがいかに曲の良さを理解していない(選曲ミスも含めて)歌い方だと分かるはずだ。