走り出した意識達

私はこの島に来る前も島に来てからも未だに自分の確実性を持てません。
多くの人間とその人間が吐き出す妄想に抱かれながら、私は私の妄想すら持てませんでした。




事を運ぶには、この一打が大切で重要であると脳で理解していてもやはり実際に行おうとすると恐怖で目がくらみます。
私は金槌で釘を打つ動作を起こし、そっと釘の頭に親指を置きます。
右手に持った金槌を強く握り締めると思い切って金槌を振り下ろしました。
「イギィ……」
親指から火が出たように痛みが走り私の右手は金槌を投げ捨て痛みの根源を抑えます。
「おい、大丈夫か……」
私の声に反応した看守が私を心配そうに見つめてきました。
私は医務室に行きたい事を伝えその場をナメクジが這うようにゆっくりと立ち去りました。
廊下に出て、私を追跡するものがいないことを確認すると額に吹き出た油汗を拭い、私は医務室に走り出しました。
こうするしかひとけの無い医務室に向かう方法が思いつかなかったのです。
島内の人間が作業を行い、看守がその患者を監視するこの時間、医務室には当直医のみになります。
当直医のみならば、隙を見てパソコンを操作するくらい……。
隙が無ければ、ポケットに忍ばせたドライバーで脅して……。
私は、何かに焦らされていました。
医務室に入ると、ドライバーは不要なものとかしました。
医務室は無人でした。もしかしたら、当直医は私のような怪我人が何処かの作業場に現れその人間の治療に出かけたのかしれません。なにはともあれ好機。私は窓際のデスクに置かれたデスクトップ型のパソコンをいじり、全患者のカルテを探しました。
それは容易に見つかり、私は患者番号FE40536の名前を知ります。
急いでその名前を脳みそに叩き付け焼き付けると、背後の扉(地下室へ向かう)の開く音がしました。
躊躇すれば、看守を呼ばれ私は懲罰房送りになってしまいます。
やるなら一瞬。
ポケットからドライバーを取り出すと扉に向かって一蹴し距離を縮めました。
「な、なんだぎゃ」
扉から出てきたのは正常院入鹿さんでした。
お互いに目を丸くして驚き言葉を無くしていると、彼女の背後から声がしました。
「後ろが詰まっているんだ早く進んでほしいのだが・・・。それとも此処でゲームオーヴァーかな?」
目をやると、地下室で監禁されたあの女でした。アイマスクをしたまま、みすぼらしい姿で正常院入鹿さんに手を引かれていました。
私は、なぜ二人が一緒なのか訊きました。
「もう止められないだぎゃ。私達はこの島を解放することに決めただぎゃ」
私は何を言っているのかわかりません。
「この人の能力とレジスタンスのみんなの力があれば、みんなもっと自由になれるだぎゃ。き、君も私と一緒にこないだぎゃ?」
正常院入鹿さんの語尾は少し震えていました。
私はかぶりを横に振りました。私は彼の遺志を全うしなければいけないのですから。その目的のためにはこの島は必要でした。私がFE40536と会うまでは患者を管理するプログラムは正常でなければいけません。
彼女は落胆して視線を下げます。
「こいつの意見なんてどうでもいい。此処で出会った事実を他言すると問題になる。入鹿さん、こいつのキズも見ちゃっていいよね」
アイマスク女は正常院入鹿さんに囁きます。
「ダメだぎゃ。彼は友達だぎゃ。壊しちゃダメだぎゃ。このことは誰に言っちゃダメだぎゃよ。私は君に裏切られたくないだぎゃ。裏切りとかもう嫌だぎゃ」
「なら、やっぱりキズを見た方が手っ取り早い……」
「もう行くだぎゃよ!!」
正常院入鹿さんに引っ張られ、アイマスク女は引きずられるように部屋を後にしました。アイマスク女は最後まで微笑を保ったままでした。
私はXさんの言葉を思い出しました。
『世界は新しいページを捲ろうとしている。もう止められない。これからは個人主義の暴走だ』
私もこうしてはいられません。
握り締めて汗に塗れたドライバーをポケットに戻すと、FE40536の名前を脳内で反芻しながら部屋を出ようとしました。
ふと、視線の先に地下室への階段が見えました。
そしてその階段の中央で蹲る当直医。
「気をつけるんだ。患者番号OL37564の目を見たものは、みな強制的に過去と遭遇させられる。懺悔と後悔の時間の始まるんだ」
目線は私を捕らえてません。喋るたびに口角から泡と涎が垂れ、もはや正常者のようには見えませんでした。
「目を……。理香ごめんな、俺がもっとちゃんとお前を見てやれば……。眼を……ごめんな……メを見る……」
私は怖くなり医務室を飛び出すと作業場に走って戻りました。



この島で何かが生まれ、何かが壊れようとしています。
これをご覧になる皆様、はやく助けてください。