未来への手紙

不意に過去の記憶が思い出される事がある。
私は昨日風呂に入っていると、ふと中学時代に担任に呼び出された事を思い出した。
呼び出された内容は、20歳の自分に宛てた手紙の文章であった。
当時の私は、ノストラダムスの予言の事もあり20歳の自分を想像することが出来ず、なんとなく漠然とした思いで「20歳まで生きれまい」と思っていた。
さすれば、20歳の自分に宛てた手紙の文面も、希望に満ちた「将来の僕は警察官になってがんばっているのでしょうね」とか「○○ちゃんと結婚している予定の俺へ」なんて希望に溢れた内容ではなく、どちらかと言えば遺書に近い内容であった。
それを読んだ担任は、道徳上の問題か教育者としての責務か、私に手紙の内容を書き直す事を命じた。
私はその時、過去の自分から未来の自分へ送るプライベートなモノが担任によって検閲を受けているというショックと、真の思いを否定された事にずいぶん落ち込んだ。
後日、友達に20歳の自分に向けた手紙にどのような内容を記したか、聞き出し、聞き出したとおりに、思ってもいない将来の定職の事を書いた。書きあがった文章は何度読んでも自分の事が書かれているようには感じなかった。思えばこれが私の最初の創作だったのかもしれない。
後日、担任に提出すると担任はその場で黙読すると封筒にしまった。
存在しない人間の未来の展望を綴った作文は担任に容認され、私の未来に仕立てられた。
私の思いとは裏腹に。


それに伴い、私の20歳まで生きれないという思いは、その後も心に残り1999年から2000年に変わる大晦日は、誰と会っても何をしても、これが最後という物悲しさを感じさせた。
しかし、私もこれをご覧になるあなたもご承知の通り、2000年は無事に迎えられ、現在は2009年である。私も25歳になった。
私はまだ生きている。
しかし、私はいまだにこの世界にリアルを感じられない。20歳を越えた私は明日にでも死んでしまうのではないかという恐れを抱いている。余命三ヶ月と言われた患者が四ヶ月目に突入してしまったような感覚。完治ではなく病気の潜伏期間の延長。


もしかしたら、あの1999年の大晦日に世界は崩壊しこの世界は死後の世界ではないのか。
だから、私は生を、リアルを、感じられない。
誰かこの世界を証明して欲しい。


追記。
20歳になった時に、母校から存在しない人間の未来が描かれた手紙が届いたが私はいまだに封筒を開けられずにいる。
封筒の中に閉じ込められた希望は、開封したとて行く宛など無いのだ。













なんてね。