備えあれば憂い無しって話。

先日読んだ本にて、主人公が悪者の企みに嵌り、幽閉され絶体絶命の危機に瀕してしまう。
しかし、そこで、悪者同士の連絡がモールス信号で行われている事を主人公が気づき、モールス信号を解読し、無事に脱出する話を読んだ。
モールス信号の解読。
アメリカ映画なんかだとよくある話ではあるが、日本では実際どのくらいの人間がモールス信号を扱えるのだろうか?
私の周りを見渡しても一人か二人しか存在しない。
学校の授業でモールス信号を習ったためしがない。
日本ではモールス信号という言葉だけは知名度を持っていても、実際行える人間は少ないだろう。


今日、考えていた事は、さきほど読んだ本の主人公がモールス信号を解読出来た事は「ご都合主義」なのかどうかという事。
ちなみに、本では主人公がモールス信号を解読できるような伏線は謎解きまで張られていない。
そして、主人公が幽閉された場所にはパソコンやモールス信号に関わる資料は存在しない。
しかし、冒頭より主人公から「モールス信号を知らない」という言質は取れていない。


さすれば、作者のご都合によって、主人公は突如モールス信号を解読する能力を得た。と思われるだろう。しかし、これは読者としての立場からの認識でしかない。


例、毎日ポケットに「缶きり」を忍ばせている男がいる。
男はいつかポケットに忍ばせている缶きりを使う時がくると思い常に缶きりを持っている。
毎日持っている。ようは当たり前の行為なのでその事を他人に話したりしない。
携帯所持率が高い日本において「俺、携帯持っているんだぜ」とは大の大人が自慢しないように。


男はある日、山登りの途中濃霧に襲われて遭難する。
食料が底を付き、疲労が蓄積され生命の危機をひしひしと感じてきたある日。
男は山小屋を見つけ難を逃れる。
山小屋には暖かい毛布と缶詰が備蓄されていた。
男はすばやく毛布に包まり、いつも持ち歩いていた缶きりにて缶詰を開ける。


缶きりによって食料を入手出来た男。
それを『缶切りを持っていて男はラッキーな奴』と捉えるか、『当たり前』と捉えるかは視点の問題だと思われる。
男からすれば、自分の人生と山小屋のチャンスを見比べて『当たり前』だと捉える。なぜなら、山で遭難した日でなくても、「男は常に缶きりを持っている」為に、人生上の何処で山小屋チャンスが訪れても対処出来るからだ。
しかし、それを第三者視点で眺めていた読者や私は、「缶切りを持つ男」とという特異性をその時生きる地球上の60億人の人間と照らし、希少さから『ラッキー』だと捉える。


つまりは男は過去から未来に続く人生という線から自分を観て、第三者はその瞬間を他人との比較と統計から観る。




話を戻してモールス信号の主人公の話。
山小屋の男を例に挙げれるなら、主人公の過去を知らない(まぁ、記述されていないから仕方ない)
読者の私からすれば、ご都合主義だと捉われても仕方ないが、主人公はいつかくる危機に対処できるように最大の予防を行っていたと思われる。



つづく(かも?)

次回予告!!
話は、ここから。
『学校を卒業しても勉強する人間』と『勉強を諦める人間』の差について書こうと思ったが、文字にして表していくとこんがらがってきたのでまた今度。
つーか、あの二種類の人間はなんだろう…。