プラネタリウム(Blankey Jet City)

そんなこんなで今日のブログ。
テーマは「天才」と「鬼才」の違い。
どっちも才能のある人を指すけどいまいちカテゴライズ出来ないよね。
じゃ最初は、辞書。

天才→生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主。


鬼才→人間とは思われぬほどのすぐれた才能。また、その才能をもつ人。
                                    大辞林



……まぁ、よく分けてはいないみたい。


そんな感じで僕個人の見解。
まずは天才とはどうゆう人を指すかだけど、それは個人個人によって目安というか価値観が違うため、これといった規定はありません。ただ、天才とは表現者の頂点に立つものだと考えます。つまり、なにかしらのアクションを起こしそれを他者が評価した時にこそ、その存在を確認することが出来ます。しかしながら、その評価する者に天才的な感性がなければ天才作の作品を真に評価出来ません。すまり天才とは天才によって評価されてこそ意味があるのだと思います。
次に鬼才。それはその圧倒的な表現力により他の者を落胆させる者であると思います。故人三島由紀夫の作品はその日本語の多彩な表現力により多くの者のペンを折りました。それは、あまりにも素晴らしい三島作品に作家志望、または作家が自身の作品が霞んで見え、自己の才能を見失う者が多かったらしいです。つまり字のごとく、鬼のような才は周りの陳腐な作品をかんぷなきままに倒したのです。
爆笑問題太田光はラジオにて「表現とは見た観客を前向きにさせるものだ。動物を殺したり物を壊したりすることが見た人を前向きにさせるか!」と言ってましたが、天才が表現者の頂点に立つものであればそれはそれはどれだけ多くの人を前向きにさせるかだと思います。
しかし、鬼才は多くの者に衝撃を与え、時には見た人の精神を壊す。
まぁ、そこにあると思います。いや、鬼才がヤバイ人って意味ではなく衝撃を与える事も表現の一つです。天才の対極に鬼才が存在していると思います。それは共に表現をして、ただ与えるものが違うだけで同じように何かを与える存在。



なんて、まぁ個人意見の爆発でした。