星空

「今年もあと一ヶ月で終わるよ」
そう。もうすぐ今年が終わってしまうのだ。2005年の年末。私の精神はどうしょうもないほど腐っていた。未だに将来には明るい展望が見当たらず、ただ惰性のみで学校に行き、授業の無い日は、日がな一日、昼過ぎに起きてはTVをザッピングして、部屋にいる事すら辛くなると書店に立ち読みに出かける。そんな私の自堕落ぶりに家族の誰もが何も言わないのは一概に家族が「長男は失敗した」「あの子は不出来だった」「次男に家を継がせよう」と口々に悪態ついていると思うと、部屋から出る事すら体が拒否した。もう自己のルサンチと戦う力など残っているわけなど無く。ただ無常な日々を無駄に消化するしか出来なくなった。思えば、先日のIQテストで落第点を取ってしまったのもこんな風に生きていれば、脳はサビ付き、思考は凍結する。そんな私には正しい評価だったのかもしれない。もう建設的に人生を送ろうとする考えさえ浮かばないはずだ。ここ数日のブログにさえそれが表れていた。道化を装ったふざけた内容のブログを書いたと思えば、次の日に虚勢をはってインテリの文章を書く。悪あがきなのだ。全てが無駄なのだ。
何もかもが楽しくなかった。何もかもに意味が持てなくなってしまった。未来って?将来って?明日って?夢って?意味がつかめない。なぜ世界があんなにも前進するのか、日が東から昇り西に沈むのか。全てがバカらしくて浅はかに見えた。ただ、私の心には漠然とした不安と虚しさ、目の前に広がる時間を機械的に非生産的に消化するしか出来なくなってしまった。
私は書き取りのペンを置くとビオと夜の道を散歩する事にした。
田舎に住んでいる事に不便さは感じた事は多々あったが、困った事はなかった。よかったと思うところはこの冬の夜空だった。四方を田んぼに覆われたこの場所では星はプラネタリウムのとはいえないがそれなりに星が見えた。
「空気が澄んでるから、星がきれいだよね」
無邪気に空を眺めて喜ぶビオ。
「そうだね」と私。
こんなキレイな星空にすら私の心は凍りついたように何の感動も与えない。このキレイな空はあまりにもキレイ過ぎて偽物のように見えた。これはどこなの有名な画家が描いた絵ではないのか。私は目を細め疑った。
「あの星の光って何億光年も前に光った光が今この地球に来ているんだよね」
ビオは知ったかぶりをして薀蓄を俺に説いていた。そんなもの私が小学生に習った事だ。
私はその事を隠して、驚いたフリをした。
ビオは喜びながら私の前方を歩き、急に止まっては
「あれがオリオン座」
「あれとシリウスとあの星を繋ぐと冬の大三角形
なんて嬉しそうに私に教えてくれます。


そうだ。
私はふと、自分が小さな頃の事を思い出しました。
あれはまだ私は小学生の頃、家から少し行った所にプラネタリウムがあり、そこは一ヶ月ごとにその月や季節に関係のある星の映像と話が500円で聞ける。優良施設でした。いつも日曜になると父が私を連れて行き、星の説明をしてくれました。
「あれがシリウスだよ。シリウスがある星座はおおいぬ座、その横にある二つの星がこいぬ座なんだ。」
私は夢中になってその話を聞きました。父は普段星座の話などする人ではないのですが、あのプラネタリウムに行くと他の客を無視して私に星座の話をしてくれました。あの時の父はなんだかとても勇ましくて私はいつも日曜になるのが楽しみでした。
それも、私が学年を上げるに連れ、妹が物心をつき始めまた弟も生まれた事により父の忙しくなったのか、めっきりあのプラネタリウムに行く事は無くなってしまいました。
ある日、家から帰ると、平日だというのに父が仕事を休んで家にいるときがありました。
「お帰り。どうだ、プラネタリウム行くか?」
父は新聞から顔を上げ、私の姿を確認すると恥ずかしそうに尋ねてきました。
「その日は同級生の大木君と遊ぶ用事がある」
私は父の顔を見ると断れなくなりそうで、靴紐を縛るフリをしながら急いで断りました。
背後で父の寂しげな声で、あぁ、気をつけてな。の声をかき消すように家を飛び出て庭に走り出しました。家の前の道路には大木君が自転車に乗り待っていました。私は手を振りながら大木君の元に走りましたが、父の事が気がかりで後ろを向いた時、縁側で父は幽霊のように立ち尽くして私の姿を見つめていました。私は急かす大木君に気を取りながらも道路に向かい歩いていきました。
それ以来、父は私をプラネタリウムに誘う事はなくなりました。



「どうしたの?」
ビオが我を無くしていた私の顔を窺います。
「い、いや、なんでもない。それよりビオ、冬の大三角形の星の名前を教えてやるよ」
「え、知っているの?なんて名前?」
ビオはピョンピョンはねながら私の横に回り込み、顔を近づけて私の指差す先を見つめていました。
「えぇーと。あれがオリオン座のベテルギウス。そして、こいぬ座プロキオン。右にいって、おおいぬ座シリウスでそれを結んで三角形なんだよ」
私の差す指先を真剣な顔をして目線を追っていくビオの姿がどこかあの頃の自分のようでした。
「わかった?」
わたしの言葉にビオは納得しながら大きく頷き、私の星座知識に大きく驚いていました。
「じゃあ、はと座はどこ?」
なんてマニアックな星座を求めるのだろう。
私は呆れながら「シリウスの右下、二つの星だよ」と教えました。
ビオは不思議そうな顔をして、また私に尋ねました。
「どこがはとの形なの?」
なんだか、あの頃の自分と対面しているようで、私は笑いながら星座の話をしてあげました。
寒さが厳しい冬空。
いつか明けてしまうこの夜空を永遠に続くように祈願しました。
どうか――。