Trust Over 30

ちょっと真面目に書こうかな。


昨日、弟がライブをしてきたらしい。そこらの駅前で自己満にギターをかき鳴らすタイプのモノではなく、ライブハウスで。
何組か集まって行ったライブイベント。
昨日の夕方、居間でブログを書いていたら、帰ってくるなり「どうしよう、この後ライブだよ」と独り言を言っていた。なんとも初々しい姿にエールを送り俺はまたブログを書いた。
夜9時頃に戻って来るなり自室に籠った。壁を突き抜けてギターの音が響く。
今日も夕方から倉庫で友人と練習をしている。
音楽が大好きで、町田康さんとかみうらじゅんさん、大槻ケンヂさんの音楽や本を読むたびに、自分に音楽センスが無い事を呪った俺にとって、弟のそのがむしゃらさはある種の嫉妬だ。部屋から漏れる音を聞く限りじゃとても上手いとはいえないが、何か一つの事にこれほど集中できる弟を羨ましく思う。


昨今は、スポーツでも音楽でも文学でも、ありとあらゆる分野で低年齢化が進んでいる。それ自体に文句は無いのだが、それにより、『若ければいい』という価値基準が出来ているのはどうかと思う。
自分が30代だからと言う理由で多くのことへの挑戦を諦めてしまうのは悲しい事だ。
30代の方が10代よりも多くの経験をしているのに、多くのことを知っているのに、年齢などという些細な事で諦めるのはどうかと思う。
『人が老いるという事は諦めるという事だ』と誰かが言っていた。
30代だからダメではなく、ダメだと思うから年齢を理由にしようが本心ではないか。
俺は2年前のバイト先で店長に「kobachiくんは、どんな人にも同じようにズケズケと話すよね」と怒られた。立場を弁えた答弁をしなさい。という意味だと思い謝ると「いや、いい事だよ」と言いわれた。
昔から上下関係というものがよく分からない。いや、年上を敬うという事は分かっている。ただ、この人は社長だからおべっかを使うとか、この人は年下だから仕事を押し付ける。という感覚がどうも汚しくて出来ない。
全てに等しく付き合うなんて気の使う事とてもじゃないが俺には出来ない。
でも肩書き見て話す事など出来なくていいと思う。
そう、偉大な母(この人もそうゆう事が出来なくて看護士から事務職に飛ばされた)に話すと、
「生きずらい生き方だよ」
と言われたが、生きずらい生き方をして生きた母が否定しないことを見ると、どうやらアリな生き方のようだ。


弟は、音楽の才能が無いと思う。
これは俺の見解だし、今から異常に上手くなるかもしれない。また、音楽により成功すると言う事がもしミリオンセラーを取るとか有名になるとかそうゆう意味ならば、才能の有無ではない所で成功するかもしれない。
ただ、もし俺がこの事を弟に忠告しても弟は聞かないと思う。(する気は無いが)
それでいい。
何が正しいとか間違っているとか、才能とか年齢とか、そうゆう些細な事で諦めるのなら、俺は弟を見限る。
誰の声も、聞こえないほど一つの事に頑張れるのは青春だから……。







はぁ、また青臭い事を言ってしまった。
なにはともあれ、荒川選手の金メダルに乾杯。