俺は元気。

もうダメやん。
いや、人生とかそうゆうデカイことじゃなくて。
舞城王太郎面白すぎやん。
『みんな元気。』の表題作である「みんな元気」を半分くらいまで読んだんですけど、もう驚いたなぁ。
まさか作中にラピュタが出てくるとわ思わなかった。
ラピュタ、天空の城だよ。それが何の因果か、あの作品に……。
確かに獅見朋成雄もストーリーが途中から千と千尋だったし、みんな元気に収録されている作品の中に「我が家のトトロ」というタイトルの作品もあるし……。



どんなに宮崎駿リスペクトだよ!!!



と、絶叫してTVをつけてみれば日本対韓国戦が放映していて9回の裏2ストライク、2アウト。2−1で日本の劣勢。
すぐにTVを消しました。
TVからの光が消え闇が増した僕の自室。
「僕って昔からゲームも映画もドラマも、もち小説も終焉に向かう場面って嫌いだったなぁ」と実感。
なんだか、全てが相手の都合で終わってしまう事が寂しくて、ゲームなんかだとラスボス前で飽きたり、ドラマの最終回だけあえて観なかったり、小説だとあと数ページという所で読む事を躊躇して数日後にやっと読み始めたりした。つまりは僕は最後が嫌い。物事は作り上げる事が出来て出会いも偶然もあるけど、自分で出会いに向かう事が出来るのに、終わりだけは無常なまでに急に来て全てを奪って、僕が有無を言う事すら出来ない。終わりさえ観なければ、そのものは胸中でエンディング無く永遠に続くように思われるから。
昔、そんな事を愚痴ったら、ある貴女に「だから、kobachi君は別れを感じると人知れずに付き合いを薄めていくんだね」なんて言われて絶句した。
えぇやん。僕の勝手やん……。
昔飼っていた猫も歳を取って衰弱して誰もがもうすぐ亡くなるなぁ。と予感していたある日。朝食に有られず、人知れず何処かに行ってしまった。数時間後、庭先で死体となって見つかったが。あの猫にとって誰にも見つからない場所が庭内にあったことにあの猫の世界の狭さを感じた。父は見つけやすい所で死んだんだと言っていた。
本当は自分の最後を看取って欲しいのに猫としてのプライドで何処かに隠れるあの猫は、俺に似ていると思った。
やっぱり最後は嫌いだ。


最近、TV番組の編成期で多くの番組が終了する。
寂しさと虚しさが残る深夜です。
春になり新しく始まる多くのモノに期待するより、今は終わるモノに「お疲れ」の賛辞を送りたい。
春になれば、時が経てば忘れてしまうから……。





なんだか、ナルシストだな……。
自分にムカつく!!!!
俺キモい!!!!