俺の狂った数式

kobachiudon2006-03-22

まぁ、大体で生きていくんですよ。
そう、なぁなぁで生きたい。関西弁ならへらへらしたい。


明日が卒業式で今日が学生最後の日なのですが、僕といったらいつもと変わらず古本屋巡り。
面白い本って無いよね。いや、あるけど安くは売ってないよね。
なんて愚痴りながらねずみ色の曇り空を睨みため息。
結局、河合隼雄著『こころの処方箋』を買って帰宅。
まだ読んでいません。談志師匠の本が読み終わっていないもの。
そうやって買っても読まない本が増えていくんだろうなぁ……。あるブログに『真の読書家は一回でも蔵書の重さで床抜けてこそ真の読書家といえる』と書いてあった事を思い出し、僕ももうすぐ出来るね。ワクワク、この床の軋みワクワク。でも、二階の僕の部屋が抜けたら一階の祖父祖母が圧死しちゃう。ドギマギ。ザワザワ……。

話は変わり、
僕はアホなので昨日の深夜、12時から3時まで黙々とある事を考えているんですが、誰か正しい答えを教えてください。
でわ、質問。
「1+1=?」
いや、数学的答えで言えば「2」でしょ。そんなの知っていますよ。電卓叩けば教えてくれますもん。
もっと、概念的な答えが欲しいんですよ。トンチ問題と思って「王」、「田」なんて答えは要りません。何故ならそれを言ったらアホ丸出しだから。
つまりは「1」という概念とそれ同等の同じ物質である「1」を加えた結果はどうなるのかという事。
例でいえば、水が並々注がれたコップが此処にあるとします。もう一つ、同じコップを用意して、同じように並々と水を注ぎ、それをもっと大きなコップに二つを入れた場合は?
つまり、コップの中の水=1となる時、1+1=という計算式が出来ますよね。
でもそれを大きなコップに入れて場合「2」という答えになるとは思われないでしょ。だって、大きなコップの中には量が増えた水があるだけで、「1」と定義された水の性質には何の変化も起きていないのだから。それを「2」という「1」とは異なる概念に定義する根拠が無いというか、無理というか……。頭痛い。もしその「2」を水が2倍に増えた事を定義するモノだとすると、何も入れ物が変わったという事だけでも、他の水と混ざり合った事でも「2」と定義できるような気がするんですけど……。つまりは、「2」と定義する見方が複数に膨れて、それは人の見方によって増え続けるのなら「無限大」という答えでさえも正解となる気が……。
うーーーーん。俺ってアホだ。書いてて分からなくなった。

違う例えで考えてみるね。
数学的、ちょいトンチで考えます(昨日の三時放映されていたドラマ参照)
1+1=10に成りうる可能性がある。
それは例えば、その問題を二進数で答えなければいけないモノだったら、1+1=10となるわけです。
となれば、通常の10進数を2進数に変えただけで答えが変化するわけだから。
1+1=の答えを一概に「2」と定めるには無理があり、その場の状況や方法により変化する。
となると、1+1の答えは?
分からないですね。それの答えを求めるのは。
(数学の時間だったら素直に「2」と答えないとバカ見るから気をつけて)

そして、僕なりに考えてみたんですけど、
結局「1+1=2」、「1+1=10」、「1+1=王」、「1+1=田」……etc.
と考えた結果、どれも答えは一つですよね。
「1+1=3又は4」なんて計算式おかしいですね。
つまり、計算式の性質上から計算式から答えは常に一つ。
これにより僕的1+1=の答えは……「1」
「1」なんですよ。

と、なりました。もうそれで良いです、無い頭使って考えたら頭痛が酷くて……。