卒業式で

kobachiudon2006-03-23


いろいろありまして、今日のブログは後日に書きます。今日来てくれた方ごめんなさい

改めまして……。

卒業式だったんですよ。
予期していた雨は見事に止み終わり。朝、地面には雨の名残としてじめっと濡れていました。
学校に9時集合。
10時に開会。
まぁ、それからはみなさん一度は味わっているように、名前を呼ばれてその場に立ち上がったり、成績優秀者に褒章を授与、理事長や学長の祝辞、祝電、答辞、なんて事が滞りなく進行。
ここで思ったんですが、祝辞を述べる偉い人(知事とか市長)はなんでいつも影武者みたいな人が代わって話すの?理由はいつもスケジュールの関係で来れない。なんて言うけど、祝辞なんか数十分だろ。ちょっと時間作って来いよ。まぁ、同じ日付にもっと優秀な国立大学が卒業式でそこで祝辞を述べるのなら仕方ないけど……。
12時くらいに閉会。
その後、ゼミごとに分かれてゼミの教授から卒業証書授与となるんですが、
僕のゼミといえば、押し付けられたゼミ長の僕があまりにもやる気が無い為にグダグダで本当に申し訳ないゼミだったんです。
教授が一人ひとりに卒業証書を手渡し、そして一言コメントを述べていったのですが、
大体、「おめでとう。仕事頑張れよ」とか「○○会社に入るんだって頑張ってね」的な言葉がコメントとして添えられるのですが、僕の出番で言われた言葉は……



「kobachi君、ニートの勉強をしたんだからニートの人を助けてやってくれよ」パンパン(肩叩く)


あはは、僕がニートなのに。他のニートを助けろとな、本末転倒もいい所だ。でも教授の顔を見ると皮肉を込めた言葉のように思えないし……う、うぐううう。
「あ、はい」と言って苦笑いしか出来ませんでしたよ。
みんなに卒業証書が授与された後、卒業アルバム用の卒業写真を撮影する為に撮影場所に移動。
撮影後、友人と談話しながら歩いていたら後ろからまた教授に肩を叩かれて振り向くと、今度は神妙な顔の教授が一言。



「死ぬな!!!」



し、死ぬな!?
そんなに僕って死にそうな顔をしてますか?
それとも、あなたは死神の目でもお持ちで僕の寿命が見えるのですか?
と、とにかく。
死なんわ!!!!
最近、死ぬとか考えていないんだぞ!!!誰が死ぬかいな!!!!
そして、友人と集まり談話。
もう、あの教授と会わないとなると、あの「死ぬな」が最後の言葉なんだなぁ。思えば、「死ぬ」っていう行為は何も命を絶つって意味だけじゃなくて、こう生産的行動を取らなかったり、人と接しなかったりする人もある意味社会的死を負っているんだね。さすれば、教授の「死ぬな」という意味は、生きろ!!それはただ酸素を吸い栄養分を吸収していろって事ではなくて、自分らしく社会と繋がれって意味なんだね。深い言葉だ。すげぇよ教授。
と、妙に感慨深い僕が居て、雲間から見える青空になんか神々しさを感じて。


16時
駅前のホテルの宴会ルームにて謝恩会。
アホみたいに酒を呑む。
そして周りのムードに踊らされて自分ペースを崩して飲んだ結果、気持ち悪くなりグッタリ。ウーロン茶を飲みながら出逢った友人と会話。
あの教授がまた現れてトーク
「kobachi君は、一サラリーマンで終わらないと思うよ。なんだか凄い事をしそう」
それに対して話していた友人が、
「そうですよ。彼は大器晩成型ですから」
おいおい、みんなで俺を煽てても何もでないぞ。
数々の人や占い師が俺を大物になると予言・宣言したけど。俺といえば未だにこんな感じだぜ。
ガハハハっと笑いながら二人の会話を一蹴。
逃げるようにその場を去ると友人と教授が熱く秘境駅について語ってました。
そいうえば、あの友人ってJRに行くんだっけ?


廊下に設置されたソファーに深く座り、酔いの熱を冷ましていたら、先客で熱にやられた友人二人(さっきとは違う人)が居て、話しているうちに、
「お前はテクニックの要らない創作が向いている」
えっ?なにそれ?
「絵を描くとか。そうゆう系」
はぁ。そうですか?
絵とか描くのは好きだけど。それは好きなだけで上手い訳じゃない。
絵描きで飯を食っていけるほどいい時代ではないと思うし、もっと上手い人が一杯いるので絶対にやらない。
ゴッホのように耳を切るほどの情熱なんて持って無いもん。
さっそくその場から逃亡。


宴もたけなわで謝恩会閉会。
学校に帰る途中、これまた違う友人に美術系の専門学校に行ったらと勧められる。すぐに断る。酔っ払いの戯言。


学校に戻り友人数人と喋る。
友人の中学時代の武勇伝を聞き酔いが覚める。(書けないほどの過激な内容の為自主規制)
武勇伝の友人から「君は仕事が嵌れば長続きする」と言われる。それは当たっている。僕はそんな感じ。面白いものなら寝ないでもやりたい。でも、面白くないものや、やらされている感覚のものは死ぬほど飽きやすい。
数日後にアパートを引き払う友人宅に集まり松紳を見る。
1時間後、解散。帰宅。
帰宅途中にいつもの通学路で4年間廃屋になっていた空店舗が改築されていた。少し行った所にあるお洒落な外装の建築設計事務所が潰れていた。
時代の流れを感じた。
目に見えないほど少しずつ世界は変化する。
前進とも後退ともいえないスピードで変化して、今見た景色も二度と見えない。
別れに寂しさを感じなかったのは、たぶん携帯電話やインターネット、車や電車、飛行機の使い方をマスターした大人の僕らにはたぶん別れの距離とかを麻痺させているのだと思う。どんなに遠くに旅立つ友人にさえ、お金と時間があれば会える、圏外でなければ話せるという感覚があるからだ。
終の別れじゃない。そう思いたい。
だから、みんな明日も学校で会おうというトーンの別れの挨拶をしたんだ。
こうやって否が応でも進む世界で、あと何回こんな気持ちを味わえるのだろう。