時計仕掛けのオレンジ

名作を観ようシリーズ第二弾。
スタンリー・キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』を観る。
借りたビデオ屋ではドラマコーナーに置かれていたが、この作品はどちらかと言えばサスペンスコーナーに置いてあるべき存在だと観終った後に思う。
主人公のマイケル・マクスウェルの演技は序盤エライ暴力的で、こりゃキューブリックさんは頭おかしくなったのかな?と不安になり、もし女性と観ていたら必ず女性は嫌悪感を出すと思われた。最後まで見ると最初の異常なまでの残虐シーンの意味が分かるが、普通の人なら最初の方で停止釦に手を伸ばすかもしれない。
しかし、刑務所から出所した後のマイケルの惨めさに、少し同情してしまった。それと言うのもこの映画が出所後の悲惨さを現して『自業自得』を描く作品だと思ったからだ。しかし、そこはまだ中盤で終盤の病院のシーンにて、自分があの時マイケルに同情の念を送ってしまった事を激しく呪った。マイケルがいかなる悲惨な老後を送ろうとも誰かを傷つけたり、悲しめたりしたのなら、罪を犯したのならその人物は罰せられるべき存在なのだ。そこに同情したのならば同情した俺は、加害者と同じであり被害者に訴えられてしまう存在と同列されてしまうのだと。
ザ・ワールド・イズ・マイン』という漫画で、連続殺人犯に殺された被害者の親にインタビューするシーンがある。丁度その時、TVで隠遁する殺人犯に向けて殺人犯の父親が情に訴える演説する。その感情剥き出しの演説は見るもの多くを感動させ、視聴者は父親に同情する。そんな感動する視聴者を見て被害者の親は凄く悔しい顔をして言う。
「あの中継を観て同情した奴らは紀子(殺された被害者)をもう一度殺してるって、気がして……ちくしょう」
そうだ、キリストは誰にでも「許し」を与えてくれる。でも、俺は神じゃない。法を犯して誰かを悲しませた存在を決して許しはしない。たとえ、心を入れ替えて善人になろうとも同情などしないと誓った。そんな事をしたら、それこそ加害者と同じだから。彼によって涙を流した人物がいるからだ。


と、とにかく名作と言われるだけある作品だった。過激な映像が多いいので、もし気になった方は親御さんや女性のいない環境で鑑賞をした方がいいと思われる。ベストは一人。
面白い。演出も全然古臭さを感じさせないし、映像もマスタリングされていたので綺麗だった。最後もクール。キューブリックはすぐに発見できた。
えぇーと、とにかく凄かった。