分かり合うこととは、理解すること。

この世には好きな人とちょっと苦手な人がいる。
嫌いな人はいない。昔は確かに嫌いな人がジャンルとして特定人物としていた。今はその感覚がない。


一昨日の食事会にて友人の彼女さまより、漢検のテキストを頂戴出来る事になり大学に行く。
大学生の今さえ良ければどうでもいいやという堕落した思考が充満する大学はなんとも居辛く、このような思考に在学時は自分もなっていたので彼らに将来アホ見るぞ!と念を送り、預かってもらっていた友人から漢検のテキストを戴き帰宅。


従兄弟が祖父母に曾孫を見せに来客していた。従兄弟は25歳で警察官。結婚したのは確か23歳だった。俺はたぶん従兄弟のような人生は送れそうに無い。結婚予定ないし相手もいない。少し従兄弟が羨ましかった。全てが順調に進んでいてまるで普通で。それは何も望まない僕の唯一欲しいものだ。普通の生活、歳相応の幸せ。


話は変わり、
最近、ブログを読む方から「元カノさんの愚痴を聞く」事について褒められている。
俺にとっては当たり前の行動なので、別に意識をして聞いている訳ではないが、もしかしたら世間的には「男たるもの女子の愚痴など聞くなかれ、愚の骨頂なり」なのだろうか? それとも、世間的には男が愚痴って女子が聞き役に徹するのが男女の通例会話? 分からん。
まぁ、世間がどうであれ、元カノの愚痴を聞く理由は何も俺があいつにだけ弱腰になってしまう訳ではない。
さすがに9年間も仲良くしていると、自然と相手の考えや苦しみというものが見えてくるものだ。一人っ子で親の過大な期待を一心に受けたあいつの苦しかった高校時代とかも知っている。俺は愚痴など誰にも言えるし親にも兄弟にも友達にも、そこらを歩く野良猫にだって言える。しかし、あいつはいつも気丈な態度を維持していなければ、親の具合が悪くなってしまうらしくいつも強気で弱音を吐かない、いや吐けない。じゃあ、俺が聞いてやるかという次第でござい候。
仕方なく何時間だって聞いている現在。
って、このブログを稀に読んでいるあいつに関して何を書いているんだ。
また、プライバシーの侵害とかアホとか言って怒られるじゃないか……。


今週号のヤンサンを読んだら山田玲司さんの漫画に「愛される人は愛する事が出来る人。理解して欲しかったら理解しなさい」と描かれていた。そうなんだよね。暗い暗いと言うより、進んで明かりを付けましょう。
人間付き合いも同じだよね、相手に話を聞いて欲しかったら相手の話をちゃんと聞かなくちゃ。
当たり前だけどその当たり前が出来ない人って多いいからね。