死に至らない病

キルケゴール曰く、真の絶望とは死にたいと思い憂う事ではなく、死にたくても死ねない事らしい。


俺といえば、最近、実生活の充実と健全なる生活への復帰のために朝の7時に起きることが日課になっていた。何時に寝ようとも朝の7時に起きていた。昨日までは……。
今日は目覚ましも掛けたが、起きたら11時だった。
俺は起きて早々に落胆した。自分の不甲斐なさに死にたくなった。自分はこうも早くに目標から挫折した事に死にたくなった。しかし、今ここで死んだところで世間じゃ俺の死を自己の不甲斐なさに絶望して自殺と捉えずに、どうせ、無職の為とか将来への不安とかそんなありきたりな言葉を押し付けてしまうのだろうと思うと死んでも死にきれない。それに俺が死んだことによって、「あいつが死んじゃうなんて……、俺も死んじゃお」と後追い自殺をする人が全くいないという可能性は捨てきれない。つまりは死ねない。しかし、最近の自暴自棄っぷりを考えればもうえぇかな。と思う。


この膨大な絶望をどうすればいいのか考慮すれば、答えはキルケゴールの本に書かれていた。
『死に対する特効薬とは信仰である』
信仰……。
辞書を開けばこう書かれている。
『信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、聖なもの(絶対者・神をも含む)に対する畏怖からよりは、親和の情から生ずると考えられ、儀式と相俟って宗教と体系を構成し、集団性および共通性を有する(広辞苑より)』
と、小難しい事を縷々と述べられても困ると思うので、簡単に信仰について考えれば、『何かを信じろって事さ』それがある人はキリストで、ある人はお釈迦様、またある人は自然、あるオタクは某アニメキャラ、ある熱狂的ファンは某ヴォーカルとなる。
俺も何かを信じればいいのだ!!!
何を信じる。この疑い深さがマリアナ海溝よりも深い俺が何を信じればいいのだろう。いや、もし何かを信じたとしてその信仰心をある一定のレベルを維持できるのだろうか? もし何か不条理イベントが人生上出会った場合、「ケッ、何が神様だよ。神様なんて俺の事を何も救わない無能じゃないか!!」と俺は古代の哲学者のように神の存在を疑い、終いには「神は死んだ」と大きな声で叫びだすかもしれない。難しい事だ。『信じる者は救われる』という西洋の宗教理念に基づいて「お前が辛い目にあって神が死んだと叫ぶのは、お前が真に神の所在を信じていなかったからだ!」と自分の心に喝を入れ、「神様。ごめんなさい。私心を入れ替えて頑張るわ。神様に見返りを求めた私がバカだったの」と、心底ぞっこんの彼氏に振られた女如く跪いて謝り、自らを心機一転させるのだろうか。
あぁ、面倒臭い。
信仰について考えれば考えるほど面倒臭い。
この最大の問題は、宗教というものが誰の所有物かって事だと思う。
仏教というものは坊主の所有物ではない、坊主は仏教を広める事は行なっても特許は持っていないし、それによって利潤を得てはいても「俺が神の使いだ!」と大それたことは言わない。
俺の信仰は結局、俺が俺の心の平安を保つ為に作成した信仰だから、俺のための信仰(宗教)であり、俺は別にこの信仰を布教したい等と自己満足の押し売りはしない。俺により発生した信仰は俺が思い込んだ神様に捧げ、俺の元に平安という形で戻ってくる。つまりは自己完結しちまっている。じゃあ、多くの信者を募って多くの人と共有したらどうだろう。そのための勧誘の為に俺宗教を大々的に広告してマスメディアによりメディアミックス展開を行い、俺宗教CD、俺宗教映画、俺宗教アニメ、漫画、小説、テレビ番組、Tシャツ、FFとコラボ、etc.
大勢の俺宗教信者の前で教祖と成りえた俺は声高々にこう叫ぶのだ「神様なんているわけねーじゃん」と、キョトンとする信者達に続いてこうとも叫ぶ、「いろいろとお布施を戴きあざーす!!この金を使って、一生遊んで暮らすわ」騙されたと嘆く信者を他所に俺は悠々と裏口からハイヤーで成田空港へ、ハワイ辺りの一級地の家買って青い空と青い海を見ながら一生ロッキンチェアーの腰掛けて過ごすわ。もちろん、海ではしゃぐ妻子の誘いに手を振りながら……。


おっと、妄想が飛躍してしまったぜ。
ここに来て思った事なのだが、今日のブログを書き始めた当初は絶望に打ちひしがれていたのに、今は、「まぁ、このブログを書き終えたら飯でも食おうかな」とちょっとポジティブになっている自分がいる。
今日のブログを読み始めた方も最初は「こいつ死ぬな!」ってちょっと憐れんだり、悲しんだりしていたと思うが、ここまで読んだら「こいつは世界が滅んでも生きていけそうな気がする」と画面を見つめてせせら笑っている事でしょう。そして、「あぁ、心配して損した」と逆に落胆している事でしょう。
俺はそんな現金なやつです。ごめんなさい。
俺宗教については、今後も検討していきゆくゆくは俺自身を100%騙せる理論を思慮して、俺自身を100%騙して神を肯定させたいと思います。
でわ、今日はここで。


P.S①
9時からのシュワちゃんの映画を見ていたらこんな腐った宗教観を思いつきました。


P.S②
そういえば、今日図書館に行って来ました。
借りた本
末永直海『百円シンガー極楽天使』
西尾維新『ニンギョウがニンギョウ』
立川談四楼『石油ポンプの女』
感想は後日。