好き好き大好き超愛してる。

舞城王太郎著『好き好き大好き超愛してる。』を読了
表題作の「好き好き大好き超愛してる。」とファウストに掲載されていた「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」の二本が収録されている。
まずは「好き好き〜」から。
オムニバス形式で「大好きな彼女が亡くなってしまう男」の話が描かれいる。その中でも主体となる『柿緒Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』がとても印象に残った。癌に体を侵されて余命幾ばくしかない柿緒(変な名前だけど女性)とそれをただ見守るしか出来ない小説家の男の話。とある書評には「アンチセカチュー」と評された作品。でも、いい話。読んでいる途中、もし元カノが癌に侵されて柿緒と同じ状態になったらどうしようと考え始めて最終的に「死んじゃヤダ」と嗚咽交じりに囁いて泣き疲れて寝てしまった。別にそれほど感動する話じゃないのだが。(黙々と主人公の思いが書かれているだけだし)でも、人を愛する事の大切さは身に染みた。と同時に、俺は俺の思いを元カノに照れ隠しなく真っ直ぐ表現しようと思った。俺もあいつも今は健康だがいついかなる時に小説のような事態になるかもしれない。それは単に現実と仮想の区別が出来ていないという事ではなく、それほど未来は何が起きるか分からない。一分一秒を大切にしてあいつに祈りを捧げようと思う。両思いになる事が目的ではない。ただ祈りが届けば幸いだと思う。


ドリルホール・イン・マイ・ブレイン
母親の浮気相手にプラスドライバーを頭に突き刺された加藤秀昭が見る幻覚の話。幻覚の中では村木誠という少年で世界を救うことが使命。頭に穴が開いていてその穴に頭に角の生えた鞘木あやかという彼女と頭セックス(頭の穴にあやかの角を入れる)をする事が楽しみ。と、ここまで小説の内容を書いている俺でさえ、自分の頭にドライバーが刺さっているんじゃないかと思われるくらい理解不能な話。でも、最後まで読んでみればなんとなく分かる。理論的理解ではなく感覚的理解。最後の敵を殺すまでの葛藤を読んだとき、加藤秀昭が殺すことを拒む時、「これも一種の愛なのかもしれない」と思った。てゆーか、舞城作品って共通テーマは『愛』なんだよね。



愛は神様と同じもの、自分に酔ってる奴だけ見える
/真心ブラザース『愛』

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)