古見マドカと必要性5(最終回)


マドカは自宅に戻り部屋に篭った。
思いは重い。駄洒落じゃなくてそう感じた。最初は彼の為だけに生きようと彼を幸せにしようと思っていたのに、気付いたら彼を束縛する自分がいた。彼に無条件で与えた愛に、見返りを要求する汚い自分がいた。このままあの家に居候していたらきっと自分は彼を嫌ってしまう。愛しさ余って憎さ100倍。
 マドカはベランダに留まる雀を見ながら、このまま一生この部屋で一人でいようと思った。これが一番の幸せなのだと、誰も傷つかない、誰にも気付かれない。
 一つ、心残りなのは、自分を猫と勘違いしていたとはいえ面倒を見てくれたあの老人の事だった。彼以外の家族から疎まれていたあの老人はきっと自分がいなくなって悲しんでいるだろうと。彼が上手く慰めてくれたらいいけど……。マドカは胸の前で手を組み、窓の外にいる雀に希求した。あの老人の元に行き私の代わりに慰めて欲しい。


 部屋に篭り、食事と便意と風呂以外決して部屋を出ることが無くなって数日後、いや、数週間後かもしれない。もう日付の感覚が無い。部屋を破壊した時にカレンダーも時計もTVも壊してしまった。日付を確認するすべも無い。
 とある日、深夜にチャイムの音と父親の怒声が家中に鳴り響き、ドタドタっと誰かの駆け足が自分の部屋に近づき、部屋のドアが壊れるんじゃないかと言うほどの力で急に開いた。開いた先には彼がいた。彼は肩で息をしながらマドカを睨むと一瞬安堵の表情を浮かべ、マドカの手を引いた。
「痛い。なんで、なんであなたがいるの? 私の家が分かったの?」
「愛の力」
 彼の真面目な顔した答えに、マドカは微笑して彼に引かれるまま付いて行く事にした。この答えだけでもう充分だ。例え冗談でも、大真面目の答えでも彼が自分に対して「愛」を囁いたのならきっとそれが真実だから。マドカが彼に行ってきた事は自己満足でも、束縛でもなかった。求めなくても彼は私に対して答えてくれる。愛こそが最上級の必要性なら、彼にとって私は必要であり、それは知らない家にズカズカ入ってきて一人娘を奪ってしまうほどなのだと。
家を出る時、背後で父親が勘当の台詞を言っていた。願ったり叶ったりだ。


 俺はマドカを家から引っ張り出すと、マドカの両肩を強く掴み唾を飲んだ。
「マドカ、よく聞いてくれ。実は…………」
「う、うん。私は大丈夫」
「あのな。じいちゃんが、」
「おじいさんがどうかしたの?」
「死んだ」
「はへ?なんで?」
 俺はここから喋る事が出来なくなった。それがいけなかった。マドカはどう解釈したのか祖父の死因が自分にあるのだと言い始め泣き出してしまった。
「マドカ違うんだ。じいちゃんが死んだは…………」
「分かってる。私が勝手に家を出ていなくなったから」
 そんな感動話や悲劇だったらどんなにいいだろう。俺はこの話を本や映画にして一儲けをしているはずだ。現実はそんなに劇的ではないのである。いや、ある意味劇的はあるかもしれない。喜劇と言う意味で。
「マドカ、よく聞いてくてよ。じいちゃんが死んだのは餅を喉に詰まらせて…………」
「嘘!」
「いや嘘じゃない」
「いいの、私に気を使ってそんな嘘つかなくても」
 その後、俺の家に帰る道すがら、祖父の死因(餅を喉に詰まらせて窒息死)を語ったが、何一つ信じてもらえなかった。
 二人で家に上がると、通夜の真っ最中で親族近所が集まり玄関には靴がところせましに置かれていた。
 祖父の遺体は監禁されていた部屋に寝かされていた。母は祖父の胸に手を置き、俺の遅くなった帰りと、背後で怯えるマドカを見ると一瞬睨んで目線を外した。
線香を立てて手を合わせると、横にいたマドカが急に立ち上がりすかすかと歩くと祖父の真横に座った。マドカは祖父の頭を何度も撫でて布団の裾を掴んだ。そして、布団を捲り上げて祖父と添い寝しようとした。その事にはさすがに周りにいた親族もぞっとしてマドカを止めには入る。母はマドカを突き飛ばしマドカが転がり柱に体がぶつかる。それでも頑なに添い寝を求め暴れるマドカの四肢を三人がかりで掴むと俺の部屋に押し込んだ。もちろん、監視役、兼保護者として俺も。
「なんで?なんで?ダメなの?」
「そりゃ、世間体というか、死体は細菌も持っているから危険というか、常軌を逸している行為というか…………」
「分かんない」
鶴の一声。マドカの「分かんない」に対して答えを出すことは出来なくなってしまった。生前愛しんでいた人が例え死んだとしてもその横で寝るという行為に何の問題があるのだろう。相手に対する愛情表現としては間違っていないように思える。俺だって、もしマドカが死んでしまったらきっと腐乱死体だろうが白骨だろうが抱き締めたいと思うはずだ。そう思えば、親族や近所のジジババはどこか畏まっていて、弔いの言葉は言うもののどこか本意でないように思える。悲しむという行為を大勢の前で表す事に躊躇があるのだろうか?
 マドカは泣き疲れて俺のベッドでいつの間にか寝ていた。俺もそんなマドカに布団を掛けてやると、合成革のソファーに横になって寝た。
 朝起きて、ベッドに目をやるとマドカの姿は無く部屋を出てみると、初めて出会った時の格好。黒いヒラヒラした西洋人形のような服に白いヘッドドレスを付けたマドカがいた。相変わらずな青白い顔に泣き腫れた赤い目。まるで白兎のようだった。どうやら、俺が寝ているすきに自宅に帰って着替えてきたらしい。
 昨日とは打って変わってマドカは静かだった。葬儀でも落ち着いていたようだった。俺はマドカが祖父の死を納得したのだと思い一安心していた。
しかし、事件は斎場起こった。
荼毘される棺桶を前にマドカは怒り狂った。「死んでない!」と連呼して棺桶を運ぶ男の腕に噛み付いた。俺は急いでマドカを掴み上げて男から離した。マドカは俺にも容赦なく俺の手の甲を力いっぱい掴み付け爪が俺の皮膚に食い込む。
「あなた達が殺すんだ!おじいさんは死んでない。あなた達が殺すんだ」
マドカは自分をあざ笑い困ったフリをする周囲の人々を指差し叫んだ。
マドカの言葉を聞いて、囁き声が聞こえる。
「あの子は誰?」「頭がおかしいのよ」「馬鹿じゃない?」「おじいさんの愛人なのよ」「やっかいだよな。あぁゆう奴」etc.
それを聞いた時、俺は無意識の内にマドカを掴む手を離していた。そして、それらを言ったと思われる奴一人一人の前に立ち拳を振るった。後半になると俺の殴打を見切りガードをしてくる奴がいたのでフェイントをかけて無防備な鳩尾に蹴りこんだ。元来、暴力的なことが好きじゃないのに、その時は止まらなかった。マドカの行為は愚かな事じゃない。俺が求めていた。そしてマドカが出て行った時に誓った。素直な行為だ。崇高な行為だ。マドカは間違っていない。マドカにとって祖父は死んでいないのだ。いや、死を認識できないほどに祖父を大事に思っていたのだ。俺や血の繋がった家族以上に。
 数人を殴り終えて(蹴り含む)一息付いた時、背中から誰かに掴まれて、俺を止めようとした馬鹿者かと思い上半身を捻らせて後ろを見るとマドカが泣きながら掴んでいた。
「もういいから」
 その一言でどっと疲労感に襲われて、膝から崩れ落ちる。周りのざわめきがもう聞こえない。俺は正しいのか? マドカのように正しく素直に気持ちを表現できているのか? 教えてくれじいちゃん。俺だってじいちゃんが死んでしまって悲しいんだ。でも、その気持ちをマドカのように上手に表現できないよ。じいちゃん、俺の気持ち伝わった?凄く愛してたよ。
 祖父が死んで初めて涙が出てくる。やっと「悲しい」という感情が体中に浸透したようだ。
 床に座り込む俺にまだマドカはしがみ付いている。マドカが背中に向かって言う。
「ありがとう」
 その言葉で救われたように思われた。
             〈了〉