君島直樹は戦慄 1


君島直樹はどうしようもない臆病者で、いつも何かに怯えていた。
俺が初めて逢った時も誰かに狙われているのかと訊きたくなるほど周囲を気にしてオドオドしていた。年がら年中挙動不審に我慢が出来なくなり直樹に何がそんなに気になるのか?と訊ねると、「気になるとかそうゆう事じゃなくて、もしココに暴走車が突っ込んできたらどうする?」と質問にに質問で返してきた。それもバカバカしい質問で。
俺は呆れて、そんな事無いだろ。と軽くあしらったがそれが直樹にとっては重大らしく軽々しく扱った俺を睨みつけられてしまった。
そんな直樹の様子が目に見えておかしくなったのは、『連続通り魔事件』が発生してからだった。この連続通り魔事件には一貫した規則性がある事件で、始めは北海道から始まった。札幌市に住む内藤真紀(21)が深夜の公園で体中をめった刺しにされた死体となってみつかった。次はその一ヵ月後に青森市の資材置き場、真田五郎(17)が北海道と同様に刺殺死体となってみつかった。警察は当初この二つの事件に関連性を見付けていなかったが、それから一ヶ月経つごとに、秋田県岩手県宮城県と、一ヶ月ごとに一県で一人刺殺されていった。殺害方法もまったくの同じな事、誰も目撃者がいない事、凶器が同型のナイフで行われている事、どれも深夜に行われている事、財布の紛失や衣服の乱れが無いことから暴行や物取りの類ではない事、その共通点から青森県で殺された真田五郎の兄、信二がこの事件の関連性を見つけマスコミにリーク。連続殺人事件事件として世間の明るみに出たのでした。
それからというもの、混乱する世間、これに状して警察の威信を回復させようと躍起にな警察。南下する殺人犯に対してパトロールや検問をまるで幽霊のように避け殺人を犯す犯人。
そして、犯人は今月、ここまで降りてきた。


そこで、君島直樹の精神は限界に達した。
イトーヨーカ堂に行くと、缶詰や乾パン、レトルトカレーカップラーメン、白米10キロ、それと日常消耗品一か月分を買い込み、部屋に篭った。
俺がそれを知ったのは、君島直樹の彼女、阿倍ゆかりが我が家に来た時だった。
家で居候し続けるマドカと一緒に旧祖父の部屋(現在はマドカの部屋になっている)でTVを観ていた時だった。
玄関でチャイムの鳴る音がした。母が出迎えるだろうと無視していたが、生憎母は家にいるような気配はなく、何度も鳴るチャイムにマドカがイラつき「迎えてきてよ」と俺に言うので、仕方ないと席を立った。
扉を開けると、頭にほんのり雪を乗せたゆかりが立っていた。
「こんにちわ、雪、凄い降ってきたよ」
ゆかりは頭や肩をパンパンと軽く叩いて雪を落とす。
「あぁ、凄いね。今日は何か用?」
普通に話を返したが、内心は不安と緊張で一杯だった。なんせ、阿倍ゆかりが俺の家に来たことなど一回も無いのだから。いつも会う場所は直樹の部屋か学校だった。
「ちょっと相談。ねぇ上がっていい?」
「いいとも」
俺は端に片付けられたスリッパを一足差し出す。ゆかりは三和土に上がると革のロングブーツに手を伸ばしバランスを取りながら片足ずつ脱ぐ。
部屋に通すと、まずマドカが不機嫌になった。マドカは直樹ほどとはいわないものの、猜疑心の塊で俺の近くに女性がいると、「浮気する」と思い込み、不機嫌になった。そしてその不機嫌度数は相手の容姿の良さと比例した。今日の不機嫌度はやや高めだ。
「こんにちわ!」マドカが元気と言うよりも敵意むき出しの声で挨拶した。
「こ、こんにちわ。妹さん?」
「あぁ、居候」
「あんたの彼女でしょ」マドカがすかさず訂正する。
「そうだったね。こちらは友達の直樹の彼女、ゆかりさん。マドカは直樹知ってるだろ?」
「あの挙動不審な人ね」
マドカの皮肉にゆかりは苦笑いして頷いた。


ゆかりは炬燵に足を入れると、早速本題に入った。
「あのね。最近直くん(直樹の呼び名、主にゆかりが言う)の様子がおかしいみたいなの。家から一歩も出でいないみたいだし、メールも電話にも応答してくれないし、何か心当たりある?」
「それは、女よ」
マドカが言う。有無言わさず俺が黙ってろ。と言って軽く頭を叩く。マドカは、にゃー。と鳴いて炬燵に潜った。
その一連の様子を見てゆかりが微笑む。「仲が良いのね」
「そんな事ないよ。それより、直樹のことだけどいつもの例の病気じゃないの?『杞憂症』発症中」
「やっぱり、そう思う」
ゆかりはその答えを予測していたようで、それを第三者から告げられた事によって、それが確信に近づいたようだった。安堵と不安が入り混じった顔で言った。
「それでね、ちょっと悪いんだけど直樹の部屋に一緒に来てもらえるかな?」
「えぇ、今から?」
俺はちらっと窓の外を自由に舞う雪を見る。しかし、目線を戻した先に映るゆかりの顔を見ると無下にする事など出来るはずがなく仕方なく承諾した。


雪の中をゆかりが運転する真っ赤なBMWが進む。助手席に座る俺は本皮シートを撫でながら、何故このような大金持ちのお嬢様が君島直樹のような冴えない臆病者と付き合っているのか考えていた。もしかしたら、君島直樹が持つ小動物のような小心が、母性本能というものを擽らせ引き寄せているのだろうか?分からない。きっと直樹とゆかりにしか分からない世界なのだろう。
真っ赤なトタン屋根がトレードマークだった直樹の住むアパートは降り積もった雪のお陰ですっかりその頭を隠していた。
BMVを君島と書かれた札の駐車場に止める。ちなみに直樹は車を持っていない。つまりは、ゆかりが直樹の家に来た時に車を止める場所として直樹が借りているのだ。
各部屋のポストが並ぶ場所で体に纏わり付いた雪を払い右にあるコンクリートの階段を上がる。ゆかりのブーツは冷えて濡れたコンクリートと相性が悪く転びそうになるので、俺は手を取り慎重に登る。こんな姿、マドカが見たらきっと嫉妬の嵐でリストカットだな。っと思い、その鬼気迫るマドカを想像したら妙に面白くて口元が緩む。目線を横に動かせば、ゆかりが俺の顔を見て首をかしげている。ヤバイヤバイ。
三階の角部屋に直樹の部屋があり、俺は鉄の扉の前でチャイムを押す。鉄板の向こう側でポーンポーンと音が響いた。