君島直樹は戦慄 2


小さい頃に誘拐されそうになった。ある日、公園に一人で遊びに行くと、ブランコに黒髪のセーラー服を着たお姉さんが座っていて僕を見ると、何処の子?と聞くので、「君島直樹です!」と大きな声で答えたら、お姉さんはうっすら笑って、あんみつ好き?と言い、その時の僕は、あんみつに入っている黒豆がどうしても苦手であんみつを食べる時は必ず父さんにそれを上げていたので、好きといえば好きだけど、黒豆の件があるので好きと嫌いが五分五分でどっちを答えていいか分からず「ちょっと好きでちょっと嫌い」と答える。お姉さんは、「そっかぁ。私と同じだね。私もちょっと好きでちょっと嫌い。あぁ、困った顔しなくてもいいよ。みんなそんなもんだから、大好きや大嫌いなんてきっと難しいのよ」と笑って僕の頭を撫でてくれた。そして、「何処か行こうか?そうだ、私とあんみつ好きになろうか?」と言われて手を引かれた。僕はその時、あんみつをお姉さんと食べて、はい、終了。とならないだろうな。と本能で察知して、「ママも一緒に行っていい?」と訊ねたが、お姉さんは僕の腕を強く握ったまま答えを返してくれなかった。
運よく近所の植木屋のおじさんが通りかかり誘拐は未遂に終ったが、それ以来、母さんは僕の事を異常に気にかけてくれて、その事から幼稚園に行くまでの一年は家から一歩も外に出してもらえなかった。外に出たいと駄々をこねる僕に母さんは決まり文句のようにいつもこう言った。
『外にはライオンがいて、一人で外にいると食べられちゃうんだよ』
最初は信じていなかったが、その言葉を聞いてから数ヵ月後に叔父が交通事故で亡くなった。居眠り運転の大型トラックが暴走して犬の散歩をしていた叔父を轢き、叔父の身体はタイヤに巻き込まれて、ぐちゃぐちゃのミンチになった。どんなエンバーミングの天才でも元に戻すことは難しく、葬儀には遺体が無かった。
葬式に出た僕は母さんに言った。
「どうして叔父さんがいないの?」
母さんは悲しい声で返す。
「ライオンが食べちゃったのよ」
僕はその答えが怖くて、周囲をキョロキョロと見渡してはライオンが潜んでいないかと注意を払った。気付くとライオンに食べられた叔父の遺影が笑顔だという事が怖くて、まるで叔父はライオンに喜んで食べられたように考えられた。そして考えは飛躍して式場にいたみんなも最後はライオンに笑顔で食べられる。と、根拠の無い確信が心を走り、僕は大泣きした。
いつか僕もライオンに食べられる。どんなに幸せになっても、どんなに不幸になっても結局はライオンの餌食になる運命なんだ。
幼稚園に行く事がいつも怖かった。他の幼稚園児といる時は落ち着いた。もし、この場でライオンが現れたとしても何も知らない園児を盾にライオンの襲来を知る僕は咄嗟に逃げることが出来る。でも、常時集団に属することは出来ない。ふとした時に、僕は一人になってしまうかもしれない。その時が怖い。もし、そんな時にライオンが現れたら僕は格好の標的になってしまう。誰かを犠牲にしても僕はライオンから逃げたかった。
それ以来、僕はライオンの脅威と周囲の人間に嫌われまいとする努力に明け暮れた。一日の大半の時間を友人のご機嫌取りとそんな僕を狙うライオンに注意を払った。
警戒心の高い僕に対して、ライオンは姑息な手を使い始める。例えば、小学六年の時、祖父が亡くなった。亡くなる前日まで日課のマラソンをするくらい元気だったのに、僕が起きたら祖母が泣いていて、部屋を見ると青白い顔と青紫の唇の祖父が寝ていた。死因は心不全。そうお医者さんは言ったけど、僕は確実にライオンの犯行だと分かった。家族には言えなかった。言ったら、まるで僕のせいで殺されたと思われそうだから。それ以外にも、母さんが交通事故にあって二ヶ月入院したり、僕ら家族の他にもライオンは毎日のように世界の誰かを食べて、その報告をニュースという形態で僕に伝えた。「次はお前の番だ」そう言われているようで常に周囲を気にした。


そして、現在ライオンは『連続通り魔』と名前を変えて僕を襲いにやってくる。
ゆっくり、しかし確実に僕との距離を縮め、通った場所にはその証を残した。
しかし、大人になった僕は間違えた。
昔から培ってきた「誰かを贄にしている間に逃げる」という作戦が取れなくなっていた。何故なら、誰も失いたくないからだ。盾のために利用していた友人達と距離が近づきすぎてしまった。友情なんて青臭い言葉にすると気恥ずかしいが、それに似た気持ちが僕の中に芽生えてしまった。誰も盾に出来ない僕は戦うしかなかった。それも一人で。
僕は通販で買った穴あき中華包丁を握り締めて、来襲するライオンを待つ。息を殺して暗闇の中、奴が来る時まで。
ほら、チャイムが鳴る。
奴だ。
ニュースでは隣の県まで来ていると伝えていた。
数回のチャイムから戸を叩く音。
殺す。確実に殺す。
殺して、僕は解放される。
待ってていてくれ、ゆかり