小松響子aka.トランポリンガール 3

3.
視野を広く持つことが空を上手く跳ぶ秘訣だ。
前ばかり見たり、眼下に広がる町並みにうっとりしていると自分が何処を飛んでいるか、高度は? この後の跳躍地点は? 等と数ある問題に対処できなくなる。大きな視野でいろいろな所を見る事が咄嗟の問題に対処でき、今後の飛行経路を考えることが出来る。


春が近づく。
そう思わせる暖かい日差しが差し込む教室で幼馴染の彼はもきゅもきゅと焼きそばパンをほうばっている。実に平和な一日、日常的な昼休みだ。
「それで、憧れの男は現れたか? もしかしてもう学校に来ているのか? 何処だ何処だ」
彼は興奮しながら辺りを見渡す。
「まだ、たぶん来てない。正直私を探しに来てくれるの? たまたま一度空で出逢っただけで」
「そりゃー知らん。俺ならめちゃくちゃ可愛ければ探しに行く」
「それって私が可愛くないって事」
「そこまで言ってない。何をそんなにネガティブになるんだ」
「いやね、もう無理かなって。TVとかで募集かけてもらっているんだけど全く連絡も情報も無いんだよね」
私は、澄んだ青空を見上げながら、彼がまた降ってこないかと漂う雲の裏を見透かすように目を細めてみたが見当たらなかった。
「さてさて、俺は飯食い終わったからちょっと電話している」
彼はそういうと重い腰を上げた。彼が立ち去ってから入れ替わるように今度は柿沼水鳥が不貞腐れた顔をしてやってきて彼が座っていた席に座った。
「ねぇ、ちょっと話聞いてくれない?」
私は驚きながらも頭を縦に振った。彼女とはあまり接点が無いのでちょっとドギマギしてしまった。いつも彼女は、クラス一の美少女西折アンジェリカとクラス一ぼーっとしている阿久井サク子と一緒にいるのだが……。ちなみに柿沼はクラス一の猫背。
「あれ、いつものメンツは?」
「あぁ、アンジェ(西折アンジェリカ)は早退、サク子は知らない」
「そっか。それで話って何?」
私が本題を切り出すと柿沼はちょっと苦渋の笑みを浮かべて、あぁとかうぅとか言葉を詰まらせた。話があると言っておきながら本当は無いのかよ!
「あのね。響子って空飛べるでしょ? それってどうなの? 楽しい?」
「楽しいよ。ジェットコースターに乗っている感じかな。ぐわーって上昇してごーって下降する」
「ほうほう、楽しいんだ。危なかった事は無いの?」
「あるよ。自衛隊にUFOだと勘違いされて追跡された事もあるし、TVに出て有名になっちゃったから何処でも注目されるし、何処かの大学の教授が身体の神秘を探りに急に現れて身体検査受けさせられるし、勝手に跳ぶと怒られるし……」
自分で不便な点を上げている内に損な能力だと確認した。あぁ、ママが言う通りに普通が一番だ。でも周知されている能力を今更封印しても意味が無いだろう。ならいっそ、私の事を誰も知らない場所まで跳ぶしかないのかぁ?
「ねぇねぇ、何一人でたそがれてんの?」
「あぁ、御免。ちょっと感傷に浸ちゃった」
「響子のジャンプ力があればオリンピックとか国体に出れば絶対に金メダルじゃん。なのになんで陸上部に入らなかったの?」
「それは、私そうゆう大会に出場権持ってないから。理由は私の力がすご過ぎるから公平性に欠けるんだって。」
「そんな事仕方ないことじゃん。そんなこと言ったら才能の有無だって公平さが欠けるじゃない! ばっかみたい。自分の持っている力を使って何が悪いのよ。そんなの弱者の僻みじゃん。響子のように跳べる人だってその内出てきて世界はそれが普通になるかもしれないのに、なんにも判ってないのね偉い人って」
柿沼は熱の入った言葉で私に力説した。別に私はオリンピックにも国体にも興味は無いんだけどなぁ。
「ご、ごめん。なんだかつい力が入って。それにしても怪物級の女子高生はそれはそれなりに大変のね。響子はいつもヘラヘラしているから気楽なんだと思ってた」
「そうよ。私に限らず人間誰も影では努力しているのよ。放課後の教室やトイレで悔し涙を流してるよ、私だってうぅぅ」
と、嘘泣きをわざとらしくやったら、柿沼は鼻で笑って言う。
「やっぱ、前言撤回。響子楽しそうだわ。辛い事があっても」
柿沼は肩をすくめて呆れた顔をして席を立った。去り際にありがとと言われて、どういたしましてぇ、なんて笑顔で手を振った。
最近は世間的に認知されてきたお陰で私と話した人はみんな笑顔で別れの言葉を言ってくれる。昔とは大違いだ。近所の人も道ですれ違っても怪訝な顔をしなくなった。イジメの趣向が無視に変わっただけかもしれないがそれでも幾分マシだ。お父さんにも笑顔が多い。まぁ、久保井さんが家にいることも理由の一つかもしれない。
でも、



放課後、一人で帰宅しようと街路樹が建ち並ぶ通りを歩いていると、ママに出会った。あの日から一度たりとも連絡を取ってくれないので数年ぶりのママはいあの日より髪が伸びたくらいで変わらずの姿だった。
ママは私を見ると一瞬目を逸らしたが、逃げられないと思ったのか視線を戻した。
「ママ」
私の口から零れた言葉にママは答えない。私は続けて訊ねる。
「げ、元気してた?」
「こんな所で話すなんてマスコミの格好の的じゃない。ちょっと移動するわよ」
「うん」
近場のファミレスに入り席に着くとママはバックからタバコを一本取り出す。
「タバコ吸うようになったんだ」
「そうよ。悪いの?」
「いや、そうじゃないけど……」
「あの人は元気?」
「お父さん、お父さんなら元気だよ。ママも逢いに……」
墓穴を掘りかけていたことに気付き、咄嗟に口を紡ぐ。何言おうとしているんだ。私のせいで離婚した事を忘れたの。その原因が何言ってるの。
「あなたは元気そうね。ちょくちょくTVに出てるの見てる」
「ありがと」
「未だに跳んでるのね。馬鹿みたいに。そんな事何になるっていうの? その力で何が出来るの? 周りに気味悪がられるだけよ。今はちやほやされていいかもしれないけど。その内世間もあなたを飽きるわ。そしたらどうするの? 大会に出れないあなたじゃ陸上選手にもなれない。頭も悪いんだから大学だって五流大学が関の山ね。ジャンプ力に自信があってもそれを生かせる場所なんてあるかしら」
「ママでも……ごふぉごふぉ」
ママの吐いた煙を深く吸ってしまった私は咳き込み、言葉を詰まらせてしまった。タイミングを逃した私は続く言葉を失った。言葉なんて元々浮かんでなかった。
「一応、あなたの母親だから忠告しておくけど。もう普通に生きなさい。馬鹿な事してないでちゃんと勉強してそこそこの大学に入って」
「もし、私がちゃんと普通になったらママは帰ってきてくれる?」
「それは無理よ。大人ってのはそう簡単なものじゃないの」
ママは泣きそうな顔をして言った。吸いかけのタバコを潰すと立ち上がる。
じゃあ、どうしたら元に戻せるの? 私はもう一度だけあの三人の世界に戻りたいだけなのに。
世界で一番の跳躍力を持ち鳥人ブブカも真っ青なのに叶わない。願いは叶わない。神様、教えてください。私は何故跳べるのですか? こんな力さえなければ私はもっと幸せになれたのに。もっともっと普通に生きたいです。
涙がテーブルに落ちる。