小松響子aka.トランポリンガール 5


アメリカの大学教授の研究結果によると私の脳には鳥のような体内磁石が存在しているらしい。もちろん人間には体内磁石なんて存在しない。私にもそれと同じ機能を持つものがあるらしい。だから私はどんなに遠くに跳んでも家に帰ってこれるのだ。つまりは常に方位磁石を持っている状態らしい。大きな地震が起こるとそこから発せられる磁波によって鳥の体内磁石が狂い鳥は空を正しく飛べなくなる。その原因は地震以外でも起こる。機械が発生する電磁波でも、電磁波だけではなくストレスでも………。



桜が咲き誇っている。
家から数メートル歩いた先にある公園ではまるで争うように五本の桜の木が満開の花を咲かせていた。毎年、そんな桜の木を上空から見下ろすことが私なりの花見スタイルだったのに今年からこうやって桜の木を見上げる事を考えるとちょっと寂しい気持ちになる。
ベンチに座って一人で見上げていた。
久保井さんの件から、家に久保井さんと二人きりになる事が無性に怖くて堪らなかった。また久保井さんから自己の殺害を傷害を求められたら。と思うと嫌で堪らない。だって、私は久保井さんの事を好きだから、一人っ子の私にとっては久保井さんはお姉さんのような存在だった。いや、もっと、それ以上かもしれない。ママが出て行った後から現れた久保井さんには「ママ」の役割を求めていたのかもしれない。
そんな久保井さんに、求められたら私はどうしたらいいのかわからない。傷つくことが久保井さんの幸せなら傷つけたほうが良いのか。でも、大事にしたいと思う久保井さんに刃物を突きつけたくない。はぁ。
「ため息ばかり、渡る世間はオニばかり、ですか?」
不意に告げられた声にはっと周りを見渡すと目の前に、澄み渡る青空にも桃色の花びらが舞う地上にも似つかわない漆黒を纏うフランス人形みたいな格好をした少女(?)が立っていた。私は頭の中をぐるぐる回転させてその少女(?)の名前を思い出す。そうだ、たしか、幼馴染の彼の彼女。嫉妬深さにおいてはギリシャ神話のヘラも真っ青なマドカちゃん。
「ちょっと、冗談を言ったんですから笑うなり呆れるなりリアクションを下さいよ」
マドカちゃんは困った顔をして腕を組んだ。
「ごめんごめん、ちょっと考え事していた所に急に話しかけられたから驚いちゃって」
「そうですか。どうしたんです冴えない顔してますよ」
「そっかなぁ、私は元気だよ」
「馬鹿ですねぇ。本当に元気な人は元気なんて言わないんですよ」
この子はまるで私の心に積もる問題を知っているような口調で言った。しかし、その言葉の裏側には「知っているから言わなくてもいいよ。でも、出来れば力になりたいな」という願いも込められているな気がした。身長も150センチくらい、童顔で幼馴染の彼曰く無職中の彼女の何処に頼もしさがあるのか判らない。でも、その時の私はちょっと彼女を信じてみたくなった。それは何処かで私と同じ匂いを醸し出していた彼女だからこそかも知れない。
「マドカちゃんは好きな人が願う事なら何だって叶えてあげたいと思う?」
マドカちゃんはクスッと笑うと私の横にぴょこんっと座り私を見つめて言った。
「思いません」
「なんで?」
「だって、それじゃ意味ないですよ。その人が成長しないじゃないですか。マドカはその人のお母さんに成りたい訳じゃないんです。何でもかんでも言うこと聞いてあげて彼がラクチンラクチンって思っても、それじゃ意味がじゃない。愛じゃない。そんなのエゴですよ」
「エゴ?」
「そうでしょ。人間というのは汚いくて合理的な生き物なので、何か行動を起こす時は絶対に自分の利益を考えて行動に移すらしんです。響子さんが愛と唱えて好きな人の望むものを与えても、それは愛なんかじゃないんですよ。何もいらないと叫んでも、心のどこかで見返りを求めているんです。私、貴方の為にこんなに頑張ってる! だから認めて。って」
「ってことは、マドカちゃんは好きな人の事を思うからこそ厳しくするって事?」
「厳しくするって、別にそんな極端な事しませんよ。彼の夢や希望が叶うようにアドバイスとかアシストくらいはしますよ」
マドカちゃんは外見とは似つかわしくないくらい大人だった。彼女とのファーストコンタクトは幼馴染の彼を付きまとい、私を彼女だと勘違いしてその悲しみから路上で公開自殺を演じるくらいの弱弱しい少女だったのに、この一年で何があったのだろう。随分変わっていた。
「マドカちゃん、変わったねぇ」
「変わった? そうですか? もしそうならきっとあの馬鹿チンのお陰かもしれないですね」
マドカちゃんの目線の先には両手に大きなコンビニ袋を抱えた幼馴染の彼がよたよたとおぼつかない足取りで歩いてきた。
「マドカ、ちょっとお前も持てよ。てゆーか、ほとんどお前の買い物だろ」
「いいじゃん、お金払ったの馬鹿チンなんだからさ」
「それはお前が財布忘れたからだろ。尚更、俺が金払ったんだからお前が持てよ」
「はいはい」
マドカちゃんは彼が持つ袋からひょいっと花束を抜き取ると私に差し出した。
「今日中にこれをちょっと届けてもらえませんか」
「えぇ、私が?」
「はい、空を跳べば一瞬ですから。ぴょんっと跳んでこの紙に書かれている場所に届けてきてください」
「あぁ、あのね、私空跳ぶこと辞め………っ。い、いいよ」
「そうですか。ありがとうございます。たぶん誰もいないと思うんで置いてくれればいいですから。じゃ、行こうか馬鹿チン」
マドカちゃんは私の手に地図を無理やり握らせると馬鹿チンこと幼馴染の彼と桜の間を通って公園を出て行った。公園を出て道路に出た時、マドカちゃんは幼馴染の彼の手からコンビニ袋を奪い何か小言めいた事を言って二人並んで角を曲がる。もう姿は見えない。マドカちゃんは私の前では何だかんだ彼を罵っていたけど、最終的にああやって疲れた彼を労って荷物の片方を持つ。
あえて叶えない事が愛。それは裏を返せば叶えたからといって愛を強要するなって事でしょ。死にたいと願う久保井さんに何が何でも生きろって言う事が愛。私が跳ばないって決めたからってママが帰ってくると願うことはエゴ。今思えば、ママは言っていた。私が跳ばないからって元には戻らないって。過去は消せない。それを引きずって現在で修正しようとした私は馬鹿チンだったって事。


私は、屈伸運動から軽いストレッチをすると春の陽気を含む空気を肺一杯に吸い込むと大きく吐き出す。
足元から震えが走り、脳天まで痺れる。体中の眠っていた細胞が一斉に活性化するのが判る。
「さぁ、行きますか」
私は空に羽ばたく。