映画館に行かなかったよ

今、8月19日22時50分。
「願いはきっと叶う」「夢を諦めるな」「可能性は無限大」
少年時代に聞いた音楽はほぼ80%がこんなテーマだった。
そして、中二の秋、そのテーマは人生上、嘘ではないが100%の真実にはなりえないものだと気付いた。
いや、気付かされた。
私はその時、有名塾に通わされていたのだが、一向に成績が上がらずクラス内ではいつも最下位だった。
塾の位置は、私の家よりも街中にあるせいで、塾への行き帰りは母が車を出してくれた。
帰り道、母に成績の事を申し訳なく話すと、母は怒りの表情を一切脱さず、穏やかな顔でいつも元気付けてくれたのだ。当時の私は、それを救われたと思わなかった。怒らない事は私に興味が無いと思ったからだ。現に、当時弟が生まれて家族内が慌しくなっていたのも事実だ。弟は兄弟内では一番尾ヤンチャでよく怪我をした。その面倒を見ていたのは母だった。
ある日の帰り道、母は言った。
「頑張れば、きっと(成績)は良くなるよ」
私は、腹立たしさを感じた。母の言葉が余りにも適当に思えた。母が考えた言葉ではなくナニカの教本に沿って発した言葉のように思われた。つまりは台本を棒読みする役者に見えた。
私は、その煮えたぎる気持ちに反抗した。
「頑張ったって、良くなるわけないよ。努力したからって成功するなんて大きな間違いだ。人間が努力したって、宇宙服無しに宇宙で生活できないようにさ」
私は鼻を鳴らして得意げに言ったことを覚えている、今思えば、単なる屁理屈で揚げ足取りだ。
後部座席に座る私がバックミラーから見えた母の顔は、とても悲しい顔だった。
私はなんて失礼な事を言ったんだ。苛む気持ちと、間違った事は言っていないという間違った自負が混ざり合い、私は言葉を失った。
それ以来、私は努力する事に躊躇する人間になった。



これを書きながら思い出したことだが、
家族に褒められた事なんて一度もなかった。
そんな私も社会や友人には褒められた事はある。しかし、身近な、生まれた時から同じ時を過ごす者に褒められなかった者はその褒め言葉をどう捉えると思う? 
答えはこうさ『今まで、褒められた事がなかった私が、褒められる訳がない。きっとこれは嘘だ。本心ではない』と、
家族が悪い、育成に問題があった。などと言いたい訳じゃない。
悪いのは私だ。
どんな高性能の機械でも、製品の何万分の一には不備、不良品が出る。
50億人も人がいるんだ、歴史から考えれば50億以上の人間がいた。
私はきっとただの不良品だ。この脳を開けばきっと不備が見つかる。だから私は真っ直ぐに生きれないのだ。
思いと行動と気持ちが上手く繋がらないのだ。大事にしたいと思ったモノを次の瞬間には破壊してしまうし、誰も憎めず信じられないのだ。
殺してくれ? 
いやいや、死ぬなんて厳かだ。
私にはきっと死すら勿体無い。
この無様な気持ちを抱いたまま這いずり回って生き、世間の反面教師になるなり、道化としておどけ笑いを誘うなり、生きなければならない。