メタフィジカル・セルフプレジャー2007 ①

*挨拶*

わが師である滝本竜彦氏の最新短編『メタフィジカル・セルフプレジャー2056』を自称弟子の私が大胆にリミックスというか、私なりに書いてみました。大まかな設定と主要キャラは変えずに内容を変えてみました。
書き始めて再度実感しました。やっぱり滝本竜彦は天才だと。そんな天才の足元にも及ばない稚拙な文章ですが、皆様宜しくお願いします。


 オルタ・ライフというネットゲームがある。
 そのネット上の世界には、公表では二千万人の住人がおり、二千通りの生活がある。社会もある。広告会社は看板や空、地表に広告を張り、デザイナーは自分が作った衣服を売る。デザイナーに限らず、この世界では売れるものは何でも売る。武器や防具、アイテム、人権(アカウント)さえも売れる。身体? もちろん売っている。
 僕はコツコツ貯めた小遣いをウェブマネーに変えて歓楽街に繰り出した。
 煌びやかなネオンがギラつくネオン街に投げ出された僕は客寄せの男達に、しどろもどろする心を悟られまいと虚勢を張って歩いた。「お兄さん、此処の娘いいよ」「四万クレジットでいいよ」なんて誘惑な言葉を投げかけるが騙されてはいけない。最初は四万クレジットと言いつつも、女の子の紹介料や指名料、食事代エトセトラエトセトラ…で、暴利な料金を搾り取る気でいるのだ。それは現実世界もネット上も変わらない。
 すれ違う男達が僕を嘲笑っているように思えた。彼らには、僕のような初心者は格好の獲物なのだろう。僕はすぐにでもこの場を去りたかった。去る気になればエスケープキーですぐにログアウトできるのだ。しかし、今日こそ勝ちたかった。女を買いたかった。
 街の中心辺りで肝を据えた。今から声を掛けて来た男に身を任そうと決意した。もし、そいつが悪徳業者でも諦めようと。それはそれで天命だと思うしかないと。しかし、莫大な料金を要求された場合どうしたらいいのだろう? 僕は払えるだろうか?
 不意に逡巡する僕の肩を誰かが叩いた。
 僕はさっきまでの決意どこへやら、気がついた時には走り出していた。
 脈拍は乱れ、視界に靄がかかる。
 これで5度目の失敗だ。
 見知らぬ場所に僕は立っていた。右を見ても左を見ても見覚えが無い。マップを出して住所を調べても聞いたことが無い場所だった。何処となく昭和の町並みを再現したようなその場所は木製の電柱に裸電球が寂しく点いていた。
 帰ろう。
 そう思い、帰路に向けて足を向けるとトタン板で出来た家と家の隙間から、僕を誘う白い腕を見つけた。好奇心で招く手に釣られるとそこには大人びた女性が艶かしい衣装に身を包み立っていた。風景とのアンバランスに存在が希薄に見えた。
「三十分で五万、一時間で十二万クレジットだけど」
 突然の福音に言葉の意味が判らずうろたえると、彼女は首を傾げて同じ質問を今度はゆっくり尋ねた。
 僕は高鳴る胸を押さえつつ三十分コースを希望した。
 彼女の手に引かれるまま、薄暗い路地を歩くと日当たりの悪そうなアパートに着いた。
 僕らはそこでセックスをした。
 彼女には無修正DVDで観たソレよりも何倍も綺麗なピンク色だった。きっと、有名な造型師に依頼して作った特製だろう。
 クイックするたびに、僕のアソコは彼女のソレを突いた。彼女がリードするままに体位を変えた。僕を喜ばそうとする言葉がメッセージボードに浮かぶたびに僕は機械的にクイックした。
 一回のクイックで体温が0.1度奪われていくような感覚になった。機械的な作業に僕は速くも飽きが生じていた。
 僕の体温が33度を切った辺りで、僕はディスプレイから目を逸らしていた。『自習だよーん♪』と書かれた黒板、教卓の前で放課後の予定を話し合う女子共、机にうつ伏せになって爆睡する小麦色の野球部員。雑談に雑音、着信音に罵声。そう、ここは教室なのだ。ここが自室ならズボンを下ろしてオナニーに興じることが出来る。無駄遣いをした。心の中でこの気持ちをなんと言い表せばいいか考えていた。絶望、虚無、悲惨、不満、無駄……。
「不毛」
 口に出して言った瞬間、ディスプレイの中の僕は果てたようだった。何度目かは判らない。彼女は四度絶頂を迎えたと恥じらいながら伝えた。そして、「もう一回イク?」と彼女の言葉が現れた時、僕はログアウトした。時計を見ると情事はたったの十五分だった。勿体無い、という気持ちよりも彼女の恥らう顔が胡散臭くて僕は見ていられなかった。いかにも自分は気持ちいですよ。と前面に現したその顔は綺麗過ぎた。
 パソコンを閉じて僕は机にうつ伏せになった。眠たかった訳じゃない。ただ無性に疲れた。心が疲労した。大勢の目から隠れて仮想セックスをした事に。その行為に自分の現実のアソコは膨張しなかった事に。逆に縮み上がった事に。
 覚えた事は、所詮、仮想現実は仮想現実。
 当たり前の結果だった。今時の小学生だって知っている。
 目線の先でクラスメイトが数人教室を出て行く。
 昼休みを告げるチャイムが後五分で鳴る。きっと購買部に行くのだろう。僕も行くとするか。
 僕は重い腰を上げながら席を立った。その場で大きく背伸びをすると隣の席に座る女子生徒のパソコンの画面が目に映った。
 その瞬間、僕の心は大きく高鳴り、顔から火が出るように発熱した。
 そのディスプレイには、僕がさっき買った彼女が映っていたからだ。息を殺して見つめるとその女子生徒が動かしているではないか。娼婦=女子生徒。確定。
 人を殺せるノートを持ったようだった。たった一人であったが確実に殺せるノート。弱点。弱み。ウィークポイント。
 僕は口角を上げて声を出さずに笑った。
 頭の中を飛翔していた『不毛』の一つ一つを黒いマジックペンで塗り潰していった。


              *
 彼女の名前は紫野祗木子。
 クラス名簿を見てまず最初の印象は読み方が判らなかった。近くにいた女子生徒に何気なく読み方を聞いてみたが、「ムラサキノシキコ? わかんないよ。友達じゃないもん」と言われた。随分な言われようだ。他の女子や女好きの男子生徒にも聞いたが、苗字が「シノ」だという事までしか分からなかった。どうやら、シノに友達はいなそうだ。
 その後は、シノの更なる弱みを見つけるべく僕はストーキングに精を出した。
 そして、新たなる事実を知る。
 それは放課後、シノの後をストーキングしていた時のことだ。放課後になると生徒でも寄り付かない特殊教室の多い北校舎三階の女子トイレ、シノは青ざめた顔をしながら中へと入っていった。さすがの僕もそこまで後を付ける事は憚れた為にトイレ横の水飲み場で出てくるのを待った。
 数分後。女子トイレから三人組の女子が現れた。僕を見つけると横目で一瞥し鼻で笑い去っていった。その中にシノの姿は見当たらなかった。彼女らが去っていた後、微かにヤニの匂いがした。なるほど、このトイレは喫煙場所として使われているのか。これは更なる弱みを握るチャンスだ。
 僕は心を躍らせながら、シノが出てくるのを待った。ネット娼婦に喫煙、この二つの事実を押し付ければ、シノを完璧に屈服させることが出来る。
 輝ける未来への展望に笑みを隠せないでいる僕の前にとうとうその姿は現れた。
 ステンレスの引く戸の音の後にシノがのっそりと登場した。シノが歩くたびに水滴がポタリポタリと垂れる音がする。
 水滴がポタリポタリと?
「なんで、ここにいるの?」
 全身ずぶ濡れのシノは僕に訊いた。
 狼狽した僕は何も声に出せない。
 タバコを吸っていたら火災報知器が煙を検知してスプリンクラーが作動した。いいや、北校舎のトイレに火災報知器は設置されていない。なら、シノは自分で水を被ったか、誰にかけられたか。シノの精神が正常なら答えは後者。そして加害者はたぶんさっきの三人組。
「イジメられているのか?」
「いじめ? 私が、なんで?」
「なんでって、その姿を見たら、誰がどう見たって」
「この姿を言っているの? これはちょっと遊んでいただけよ。私とんまだから転んでバケツの水をかぶちゃって…………あはは」
 哀れだ。
 誰がどう見ても嘘だと分かる嘘をつく姿は。薄ら笑いを浮かべながら必死に僕を騙そうとするシノの姿に軽い殺意を覚えた。そんなにイジメという現状を見つめることが嫌ならばいっそ、死ねがいいのに。死ぬことが嫌なら見据えて戦えばいい。
 僕は、ポケットからハンカチを取り出しシノに差し出した。
「シノ、これは僕が君に送る最初で最後の優しさだ。君は本当バカだ、バカすぎて見ていられない。君はきっとこの先もこの悲惨な現状を打破しようともせずに、ネットゲームに逃げるだろう。ここで死ねと言って君が死んでくれたらどんなに簡単で幸福なことか。僕は君にこの現実を見せ付ける。逃げ場など無いと分かるまで確実に圧倒的に強引に」
 シノは僕の手からハンカチを受け取ると俯き囁く。
「何言ってるのか、分からないけど。ほっといてよ。いいの、この世界なんてプレイしているゲームと同じよ。何をしたって何かされたって実感湧かない。たぶん、私が死んだって、ううん、ログアウトしたって、私の画面が閉じるだけで他のプレイヤーは何事も無かったように毎日を過ごすんだわ。死ぬのなんて少しも怖くない」
 僕はシノの言葉を聞き終わると背を向けて歩き出した。何処へ向けて歩いているかなんて分からない。ただ切な過ぎるシノの発言に気持ちは固まった。
 シノ、ちゃんと虐めてあげるからね。


>つづく