獲らぬ狸の皮算用

昨日今日と、風呂に入るたびにまだ見ぬ、もしかすると一生見ることが出来ない。我が子に対して親として何を伝えられるかを考えている。
スポーツも勉学も教える事が出来ない無能者の僕が我が子に伝えられる事とは何か。
上せるほど長時間風呂に浸かり思い付いたことは、「思想」である。
やはり、人が生きるうえで大事な事は、思想であると思う。勉強がいかにできようとスポーツで一生飯を食っていける存在になろうと、人ととして健全な人格が形成されていなければ、それは人にあらず。
そこでここからもし我が子が出来た事を想定したコントを書いてみる。



僕「我が子よ、今年でいくつになる?」
我が子「えぇーと、13になる」
僕「そうか、我が子よ。父さんは無能者だ。何一つ才能がないまま人生を平々凡々と過ごしてきた。そんな私は、お前に何か教えてやれるような立派な人間ではない」
我が子「………」
僕「そんな私だが、お前に一つだけ伝えておきた事がある」
我が子「なに?」
僕「この世には、正しい事なんて一つもない!!」
我が子「ほんと?」
僕「お前はどう思う?」
我が子「分からないよ」
僕「そうだろう。父が急に世界否定を言い出したらその一番身近な子孫であるお前は言葉を無くすだろう。おうおう、母さんは呼ばなくていいぞ。父の頭は正常だ」
我が子「……うん」
僕「私が言いたい事はこうだ。お前は父さんが『この世に正しい事なんてない』と言った時、『分からない』と答えたな。それで正しいんだ。もし私の問いに『そうなんだ』と答えたら父はお前を殺している時だった。『この世に正しい事なんてない』それはある意味真理であり、虚偽でもある。正しいようで間違っていて、間違っているようで正しいのだ。それが真偽は我が子が決めればいいのだ」
我が子「なにがいいたいの?」
僕「そうだな。歳をとると話が長くなり困る。ようは、誰かの意見に無闇に賛同せず、どんな問題でもまず疑ってかかれと言う事だ。何が正しくて何が間違っているのかは、己が考えて答えを出せと言う事だ」
我が子「信用深くなれって事?」
僕「うーん、つまりは考えろって事だ。我が子が成長する事には今よりもっと科学が進歩しているだろう、情報も溢れている。そんな時代だからこそ、インターネットの情報やマスメディアの情報操作に騙されず生きて欲しいのだ」
我が子「なんだか、面倒臭い生き方だね」
僕「まーね」


願わくば、我が子に伝えられるまで生きれますよーに。