死を見る異常と、生を感じる日常

此岸と彼岸を渡り歩くような事は、出来るだけしないほうが身の為だと分かっていても好奇心に駆られて危ない真似ばかりしてしまう私です。


とある人から、亡くなった人のブログを数件ほど読ませてもらいました。
まぁ、ネット上には突然更新が途絶えたブログなんて山のようにあるので皆様もちょっとググればすぐに見つかります。
そのブログが飽きて更新をやめたのか、亡くなったのか判断する事は難しいですけど……。


それを読み思ったことは、人間が死ぬ時はフラグなんて立たないって事です。
例えば、サスペンスに於いて、誰かが死ぬ。誰もがその現状から自殺だと思うが名探偵は、亡くなった人が死ぬ翌日に美容室に予約をしていた事に気付き「自殺する人が死ぬ前日に予約なんてするものではない、これは他殺だ」と見抜いたりします。サスペンスでは、大概推理は正しく(そうじゃなければ、事件が成り立ちませんけど……)事件へと発展しますが。
実際は、「明後日は弟の子供の誕生日だ。プレゼントを買わなくちゃ」というコメントを最後に亡くなった方もいます。ある人の言葉を信じるならば、そのブログ管理者は自殺したとの事でした。
それを読み、妙に生々しく気持ち悪くなりました。
太宰治が「死のうと思ったけど夏物の着物を頂いたから夏まで生きようと思った」の逆ということです。
思えば、グッドバイなんて娯楽要素満載な作品を書いている途中に太宰治も亡くなりましたから、やはり。人間というのは一分前の事がどうあろうと死ぬ時は死ぬ生き物なんでしょうね。



それを思い、ブログとはとても恐ろしいものです。
このブログ然り、ブログなんて事実と虚実の塊みたいなもんです。当たり前ですけど、ブログに書かれていることは、全てではないです。良い様に解釈したりすれば嘘も書きます。もちろん真実も書きます。何故かといえば、これを観る人なんて殆ど実物の私を知らない人でたぶん逢う事のない人だからです。つまりは『どう思われてもいい』からです。もちろん、私も人間ですから良く思われたいですけど……。
ブログというのはある種のペルソナなんでしょうね。
バイト中にバイト先に知り合いが来ると、妙に気恥ずかしい気持ちになったりしませんか?
それは、バイトの時の自分と知り合いと会う時の自分を使い分けているからです。人というのは、そんな風に場面場面によって自分というキャラを使い分けている。それをペルソナだと……、それってアニマだっけ? ユング先生!?
まぁ、簡単に言えば、内弁慶ならぬブログ弁慶の私だという事です。
実際の私は、ピチピチの女子高生です。
……嘘だけどね(みーくん)
……戯言だけどね(いーちゃん