「サヨナラだけが人生さ」とはまだ思えないYO!!

真面目に近況。


先日、仕事中に大学時代の友人から電話があり、友人Mの死を知る。
突然だった。電話をかけてきた友人もその事実をどこか信じていないような、その事実を俺に否定してもらいたいようなそんな気持ちで俺に「Mが急死した事を伝える」。受け手で、答え手の俺といえば、その言葉を聞いた時に、「急死」という言葉が、響きが、とても自分の人生にそぐわない言葉に感じて、「急死」の意味が見出せなかった。数度、「急死と言ったか?」と訊ねて、それが唐突な別れの言葉だと理解できた。電話口の友人は泣きそうな声だった事を今でも覚えている。
家に帰ると、Mの父親から喪中の手紙が届いていた。文面は喪中を伝える事と、生前にMと仲良くしてくれてありがとう。と書かれていた。Mの死因は分からずただ急死と書かれていたが、どうやら最近の出来事ではなく彼がこの世から旅立ったのは9月9日のようだ。
手紙を読んでも実感はなかった。Mがこの世にいないという事実は掴めなかった。
風呂に入りながらMの事を思い出していた。
出会いはどこだったのだろう。大学時代には数多くの友人が出来た。Mはその中の一人だった。俺を含めて俺の周りの人間はどこか無鉄砲で若さを振りかざしてその日一日を面白ければよい。と向こう見ずな蛮勇で生きていたが、Mはそんな俺とは違って、大人びていて周囲の事や人の気持ちをよく察していて、何度も俺の暴走を止めてくれていた。そんな彼に同じ年齢でありながら俺は尊敬の念を持って接していた。
大学を卒業にする時期には、俺は相変わらずの無計画さで特に努力もせずに生きていた。内定など無くてもどうとでも生きていけると世の中を甘く見ていた。かたやMは大手企業に就職が決まり。やはり、Mは凄いと感嘆したものであった。そんな俺にMは大丈夫か?と心配してくれた。俺はその時、大学が終わったら『あの根拠の無い自信で出来上がった最強で最高な日々』に幕が下りてしまう寂しさから無理して強がって笑って大丈夫だ、問題ない。と答えた。
現実は違っていて、その後の俺の人生は「全然大丈夫ではなかった」好きだった女性からはフラれて、仕事投げ出して、クビになって、笑えない事ばかりが続いていた。『最低な日々』だった。
Mが転勤して一人大阪に住んでいると聞いた時に、冗談でMにそちらに遊びに行っていいか。と訊ねたらMは何の迷いも無く快く承諾してくれた。本当に行こうとその時は決めたのだが、まぁ、その時はいろいろあって結局叶わなかった。今思えば、行けばよかった。後悔はいつも終わった後に現われる。ずるい奴だ。でも、その後悔はきっと思い出の成分なんだ。
風呂釜の中でのぼせそうになりながらMの事を思い出したが、やはり俺の目玉から涙は出ず、心中に去来する思いは悲しみではなかった。俺はこれほどまで冷静でいられる自分を憎く思いつつ風呂を出た。
翌朝、家を出るとすり抜ける冷風の中で青く澄み渡る空を見上げた。
恐ろしいほど青くて高い空だった。口から無意識に出た「Mはもう天国にいるんだよな」という言葉のか弱さに少しだけ悲しくなった。


Mの死因は未だに分からない。手紙には『急死』の文字だけ載っていて詳しくは書かれていない。Mの家族に聞けばきっと答えは出るのだと思う。でも訊く勇気は無い。享年27歳。寿命で逝くには早すぎる。病気や事故だろうか。はたまた考えたくないがアレだろうか。
彼の死を知る数日前に、ネット上で自殺したある男の死ぬ前の動画が流れていた。たまたま観る事が出来たのでその長い動画の一部だけ観たが、動画の主は社会と不甲斐ない自分を責めていた。ずっと責めていた。
死にたいと思った事が無い27歳など存在しないと思う。考える葦であるかぎり人は遅かれ早かれ自己の死を考えたり、願ったりするものだと思う。
俺も数年前は、どこかそのような気持ちがあった。俺の場合、何事にも真剣に成れなくて、辛くなったらゲームの電源ボタンを押すみたいにポチっと死のうと思っていた。
でも、今はもう思わない。
それはこの世の面白さを知ったから、見識の多さが、バカみたいな経験が俺の底にあって辛くても死ぬよりも、もっといろんな事を知りたくて俺を活かそうとする。本当に人からすればどうでもいいような知りたい事が俺を活かすんだ。「もっとアメコミ読みてぇ」とか「スト魔女劇場版見るまで死ねん」とか「キムタクのヤマト糞みたいにつまらなそうだけど観たい!!」とか、そんな下らない事がいっぱいあって、死ぬ努力よりも知る努力ばかりしてしまう。
Mはきっと自殺じゃなくて、線路に下りた子供を身を挺して救った結果とか、通天閣を占拠したテロリストをぶちのめしていたら、裏切り者の凶弾に。とかそんなカッコいい終わり方だと信じている。病気でも、事故でも、絶対に死にたくないと思って頑張ったけど……。ってラストだと願っている。
友人から線香を立てに後日Mの生家に行くけど一緒に行くか? と聞かれたけど、この場に答え書いておく。
俺は行かないよ。
死者を愚弄するわけじゃなくて、Mの死を否定するわけでもなく。
俺は俺の責務が、生きていろいろ知る責務があるから。Mに逢うのは、いろんな事をやって、やりつくした後に寿命が尽きたらでいい。


ご冥福を祈りつつ、俺は今日もバカらしく生きようと思います。




最後に
Mへ、お前が買おうか悩んでいた『車輪の国、向日葵の少女』がこの前コンシューマ移植されたぞ! その流れでPC初回版の値段が下がって今が買い時だったぞ!! 惜しかったな。