イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

あらすじ:
映像作家のティエリー・グエッタは覆面芸術家のバンクシーの存在を知り、彼に接近してドキュメンタリー映画を撮ろうとする。しかしバンクシーはティエリーには映像センスが無いことに気付き、逆に自分が監督して彼の映画を撮ることにする。


感想(ネタバレ有):
一言で感想を言うなら
『頭が痛くなるくらい面白い映画』
もっと言うと、これは上のあらすじ程度の予備知識で見てもらいたい。



では、ここからは鑑賞済みまたは、観る気の無い方に向けて書こう。
カメラ撮影が大好きなおっさんティエリーがグラフィティアートやストリートアーティストに出会ってグラフィティを記録していく前半は本当に壁の落書きから始まったモノが世間に認知されていく過程が描かれていて、「ドキュメンタリーだなー」っとぼーっとみていたんですが。そのドキュメンタリー制作の始まりであるティエリーの編集から話が代わって来て
「バケツに番号札入れて、引いた番号の付いたフィルムを貼り付けるの!それが俺のアート!!」
で、そんな事を言っているが、物語にはなっていてアクセントとして入れるのだろうと思って出来たあのゴミ。そしてバンクシーからの「アイツは全く映像編集の才能が無かった」というダメだし。「でも、そのまま言ったら可哀想だから、俺はグラフィティやれよって言ってやったんだ」という、欧米人のくせに言葉を濁すバンクシーの要らぬ優しさ。
そこから、私は「こりゃ、ドキュメンタリーやない…壮大なコメディや…」と肩の力を抜いたら、畳み掛けるようなギャグと皮肉の連続。
バンクシーに太鼓判を押してもらった」から「バンクシーから才能がある」と言われたと誇大解釈して心を太らせていくティエリーとその性根を表したような下劣なコピー作品、そしてそのアートに対して情熱や下積みのないティエリーの絵を価値ではなくネームバリューで買い叩く画廊オーナーと絶賛するファン。
それを観て、演者と私たちに向けてほくそえむ(たぶん)バンクシー
私はエンディングの”Tonight The Streets Are Ours”を聞きながら、『それじゃあ、アートの価値って誰が決めるの? 流行色って一年前に何処かの偉い人が決めているらしいけど、それらと同じように私らの流行は何処かの誰かに決められていて、その誰かのものさしを使って私達はアートの良し悪しを決めてない? 審美眼なんてもしかしたら誰も持っていないんじゃないの?? そもそも価値って何?』なんて朝から頭痛に悩まされた。

この作品を通して、バンクシーが何を伝えようとしているのかバカな私には分かりませんが。
この作品を観て夕食の時にテーブルを囲んで仲間や家族と「あーでもない」「こーでもない」とワイワイガヤガヤと討論する事がこの映画の目的なんじゃないかなぁ。

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余談.
海の向こうの問題かと思っていたが、「カオスラウンジ問題」や「村上なんちゃら」の話が半年に一度くらいふわっと風の噂で流れる日本はもう他人事じゃないよねー。