愛のむきだし

あらすじ:妻を失い、愛する女に逃げられた父親によって毎日懺悔を強要されるユウは、罪を作り出すべく悪事を重ね盗撮の道へと入り込んでいく。幼少期に父親からの暴力と母不在の半生を送ってきたヨーコは全ての男を恨み蔑んで生きてきた。父親から暴力を受け続けた結果精神を壊しクラスメイトを刺し殺し、父親の陰茎を切り落とし新興宗教団体の幹部に上り詰めたコイケ。三人の若者が出会う時奇跡が起こった。

予告編↓


感想(中盤までのネタバレあり):

こんな糞感想読まなくていいから映画見てくれよ。



この映画は上映時間が4時間という長丁場になっていて、DVDで借りて見たが前編・後編の二枚組となっている。(ブルーレイは一枚)
4時間も見るとなるとよほどの心構えが無いと辛いように思われてしまうが。実際に映画を見てみるとすばやく変化する展開に翻弄させて4時間という長さを感じさせなかった。観終わった後に「もっと見たい」という欲すら生まれた。それほど魅力的な映画である。

死んだ母親を忘れられないユウは母の言葉に従い自分のマリア(聖母)を求める。そこで父親からの罪探しという命令と盗撮集団との出会いによって、盗撮のプロとして聖母を探すべく盗撮を撮り続ける。(ここらは実にコメディタッチに描かれている)ある日、罰ゲームで女装して町を歩いていたら大勢の男性に対して大立ち回りを演じるヨーコを見つけ恋に堕ちる。そしてやっとタイトルがどーんと流れる。(ここまで上映から一時間掛かる。知っている映画の中で最長のプロローグである)プロローグ後、ヨーコと男性の喧嘩をマッチングしたコイケの半生が紹介される。コイケの半生は実に壮絶で父親からの虐待、クラスメイトの刺殺、父親への復讐、新興宗教団体に入団など何一つ救いが無い半生が紹介される。(演じる安藤サクラが不細工だから尚更救いの無い感じが増す)その後に紹介されるヨーコの半生はコイケと似たような生い立ちなのにカオリによって救われている。(つまりはユウとヨーコの失敗作みたいな、ドリフのコントみたいに「もしも、二人に救いが無かったら」を体現したのがコイケとなっている。ゆえにコイケはユウとヨーコに執着するのだが)
序盤の見所は、ヨーコの母親で、ユウの父親に恋した渡辺真起子演じるカオリである。登場時はケバイ格好をしてユウの父親に近づき、神父である彼の状況などお構い無しに大好きアピールをして内縁関係に持ち込み、すぐに結婚できないから苛立ちスーパーのバイトと浮気する。「ビッチ」という言葉がぴったりの登場であったが。このカオリ、ヨーコサイドから描かれると観る目が変わって見れるのだ。好きな男とよりを戻すためだけに車で追いかけて車をぶつけ、海に逃げる男に駆け寄り無理矢理抱き締める。
ヨーコはそんな彼女をこう称した「彼女はいつもむきだしだった。何にむきだし? 愛にむきだし?」
俺も思った。ただのビッチだと思っていたカオリがただ愛に愚直でそれこそ”むきだし”な人間だと分かった。恋する乙女だった。恋する乙女は相手のルールに合わせるためには自分のルールを簡単に捨てた。(○○君とおそろいのペンケース的な奴を信仰レベルでやった)。ユウもヨーコもユウの親父も同じだった。愛のために自分のルールを壊していった。つくづく成り下がっていった。
全ては愛だった。
終盤には愛にむきだしな人間しか舞台には残っていなかった。
そこら辺は劇中に語られる「コリント人への手紙 第13章」が全てだった。
もう終盤なんて喋りたくない。観て欲しい。