ゴジラ(レジェンダリー版)

あらすじ:
フィリピンの炭鉱から見つかった巨大な化石と謎の繭。同年、日本の雀路羅(じゃんじら)市にある原発が不自然な地震によって倒壊してしまう。生き残ったジョーとフォードの親子は、地震の真相を調べるべく放射能汚染地域になっている元原発に舞い戻る。そこには予想していた放射能は一切無く原発跡地には謎の生命体が眠っていた。時同じくして、太平洋ではゴジラが目覚め何処に向かい泳ぎ始めていた。
↓予告編

感想:
ゴジラの特番を観ていたら「GODZILLA」という英語表記に「GOD(神)」が潜んでいる理由が、アメリカでアメリカ版初代ゴジラを上映するときに発音をそのまま表記したら「GOD」という文字が入っていた。という偶然らしい。上手いことを言えば神掛かっていたということか。
ちなみに「GOD」の後の「ZILLA」の部分は、語尾につけてアメリカでは「怪獣のように圧倒的!」な印象を持たせる言葉になっているらしい。

劇場は殆どおっさんばかりで、とっとこハム太郎と同時上映してゴジラ=少年向けだった過去を完全に払拭していた。
思えば、今の子供にとって怪獣映画はずいぶん遠いものにあると思うし、現在はでっかい怪獣よりも等身大の妖怪が流行りである。
席に座るおっさんどものツラは、浮かれているようでもあり98年のハリウッドゴジラのトラウマを再発させるのではないかという恐怖に戦慄しているようでもある心中には深い闇を湛えていた。かく言う私も、雑誌やネットで好評の声が溢れていたが、監督を担当したギャレス・エドワーズは経歴が浅く、出世作のモンスターズは怪獣が潜む日常を上手くは作り上げていたものの、後半の怪獣が出てきてからなんだか微妙になってしまった事から、物語は大丈夫だろうが怪獣プロレスはゴジラらしく出来るのだろうかと不審に思っていた。が、実際に見ると過去のゴジラ作品からいろいろ取り上げていて大満足だった。


(ここからネタバレ)
映画が始まり、昔の極秘フィルム調になにやら不穏な空気をかもし出すOP。
主人公フォードを中心に家族の絆をテーマにした話と、渡辺謙演じる芹沢博士によって世界観や怪獣の紹介が進む。(ゴジラの誕生が、水爆実験で生まれた怪獣でも、ジュラ記から生き続ける怪獣でもなく、太平洋戦争で犠牲になった人々の怨念の集合体でもなく、高濃度の放射能に覆われていた古生代ペルム紀に生存競争の頂点に立っていた存在と紹介される。自然そのもの、神)
話が進み、行く先々で怪獣に遭遇するフォード。飛行機に乗るためにハワイに行ったらハワイで遭遇して、サンフランシスコに帰ろうと思ったらそこでも遭遇ってどんなに怪獣に愛されているんだ。
中盤からは舞台はアメリカに移り変わるがハリウッド映画なので仕方ない。(スカイタワーは壊れない。そもそも東京自体映ってない?)
ムートーの電磁パルス攻撃に近代化兵器が無力化され苦戦を強いられるアメリカ軍。
増えるムートー。(メスがでかい)
ムートーを追いかけるゴジラ
三体の怪獣が集い始めるサンフランシスコを前に、アメリカ軍は核兵器放射能を餌にして三体を沖合に集まった所を爆破する計画を立案する。(困ったら核を打ち込むというアメリカのスタイルが凄い)
作戦は見事に失敗し、核ミサイルはメスのムートーに奪われサンフランシスコの巣に運ばれてしまう。このままではサンフランシスコに核の火が・・・。
そこで、爆破物処理担当のフォードを筆頭に核ミサイル奪還作戦が決行。(USA!USA!!)
サンフランシスコに上陸するゴジラアメリカ軍の攻撃を一切無視してムートーに向かう。(ムートーは敵意を見せる人間に攻撃するんだけど、ゴジラは人間を一切無視するのは良かった。破壊神とも救世主ともとれる行動)
ムートー夫妻とのバトル開始。2対1に苦戦するゴジラ
フォードはムートーの巣から無事ミサイルを取り出し、置き土産に巣を爆破する。(自分の巣にタンクローリーを置いちゃうムートーのドジっ娘属性が溢れる素晴らしいシーンである)
炎上する巣に唖然となり、火を消そうと駆け寄るムートー(ドジッ娘
好機を見出し反撃に出るゴジラ。(今までのゴジラ作品だと、弱っているゴジラを助ける為に人間が何かアプローチをする展開が多かったが、今作ではゴジラisGODなので。神と人が対等になることはなく。フォードの行為はゴジラを助ける為ではないが結果的にゴジラを助けている間接的な助力演出良かった。)
放射能熱線が青く、今までの太いビームぽいものではなくブレスになっている!
尻尾のなぎ払いでビルに埋もれるムートー(オス)。(ゴジラの尻尾なぎ払いも歴史あるから)
子供を殺されたフォード達に敵意をみせるムートー(ドジ)
「くっそ、蓋が開かないから核ミサイルの解除が出来ない・・・」フォードよ、お前の爆破物処理担当って設定は一ミリも使用されることは無かったな・・・。腕力だけで蓋を開けようとするシーンには、お前は筋肉馬鹿かと思ってしまったよ・・・。
ゴジラが現れて、旦那を失った未亡人ムートーの口内に熱線をぶちかます。ニッチなアダルトDVDみたいな仕留め方をする。
ムートー(壇蜜)の頭をもいで上機嫌になるゴジラ。(「俺がチャンピオンだぜ!」とも「ご先祖様の勝ったよ!」とも取れる)
疲れてその場に倒れるゴジラゴジラの様子を伺うように集まる人々。(ゴジラのまわりをカモメが飛んでいるんだけど、それが死体に集る蝿ぽくて良い。)
妻と再会するフォードと息子。(いつ息子と出会った?)
突如、開眼し海岸に向けて歩き出すゴジラ(開眼と海岸を掛けた・・・)
人々はその姿を歓喜の声で見送るのだった。


2014年のサンフランシスコだから超高層ビルばかりで、ビルとビルの間で怪獣が戦うことになり、怪獣の大きさを上手く表現できないのかなーと思っていたが、怪獣と人間の対比をうまく使っていて怪獣の大きさがアリアリと浮かんだ。(欲言えばパシフィックリムでも思ったが、1シーンくらい明るい場所で戦って欲しかった)
一貫して、人類VSムートーで話が進んで、ゴジラを舞台装置としているのも良かったわ。リブートするからと言ってゴジラVS人類をやられたら、いろんな人の気持ちを考えて、どっちつかずな終わらせ方しか出来ずカタルシスが残ったと思う。第一作からムートーという悪意の矛先を作った点は良かった。
放射能を吐くゴジラの対比で放射能を吸収するムートーという図も素敵。(そこから原発なんかの社会批判に傾かなかったことも良し。あくまで怪獣映画。原発や電気に頼りすぎた現代社会というメッセージ性は残してもよい。)
ゴジラシリーズの流れから考えると、ファイナルウォーズというお祭り映画の後にコレを観た方は「もっと怪獣同士の戦いが観たい」という欲望が生まれるのは仕方ないといえば仕方ない。たしかに怪獣の戦いは終盤だけだからね・・・。(そうなると、怪獣映画だけどパニック映画よりなのかもしれん)


総括すれば、
2時間ある上映時間を飽きることなくみれて、EDには「もうちょい見せろ」くらいの気持ちにさせてくれたので満足のいく出来だったと思う。
次回作はラドンモスラキングギドラが登場するらしいが、ラドンモスラはなんとなく登場させることは出来そうだけど。キングギドラを出すとなるとやはり異星人もでるのだろうか・・・。楽しみである。


余談。
渡辺謙の芹沢博士って、核を使わずに怪獣同士を戦わせようと提案されて即却下されてしょぼくれたりするシーンを観ると芹沢博士というよりも山根博士ぽいよね。

余談2。
ゴジラの首周りの太い。
CGだけどモーションキャプチャーとか使っていそうだから、変な話人間がノシノシ歩いているぽくてゴジラらしさが出ている。

余談3。
東映の意向か知らんけど、一度くらいはゴジラのテーマを流して欲しかった。

余談4。
ゴジラの特番で、いろいろな関係者が「ゴジラとは神」だと言っていて、ビオランテの大森監督だけが「ゴジラとは映画の中でしか存在できない生き物」というのは中々感慨深いものがあった。