古見マドカと必要性4


ここで、その時の俺は知るはずの無いマドカの過去を書こう。
古見マドカは郊外の市営団地C棟三階304号室に住む古見家に生まれる。兄も姉もいない、そして両親の財政面から弟や妹が出来ることもなかった。しかし、両親は一人娘のマドカに寂しい思いをさせまいと一心に愛情を注ぎ、マドカの望む物は何であれ買ってあげた。そのお陰でマドカの体はぷくぷくと育ち、近所の酔っ払いのおっさんから「将来は女相撲取りだな」なんてからかわれる体格になった。
子供社会は残酷である。常に『普通』を求められる。何欠けていれば、それに対して大勢で差別し迫害する。逆に多くても、「異なる者」として差別する。マドカに罪は無い。マドカに物欲の充実を以て愛とした両親にも罪は無い。たかが人より体重のあるだけでマドカは幼稚園の頃から苛められた。小学校二年になる事には苛めはエスカレートして、元来望む物は何でも与えられたマドカに忍耐や我慢なんて出来るわけなく、早々と小学校からエスケープして家に引き篭もった。友達は父親が買ってくるぬいぐるみだけだった。
中学生になったマドカはもちろん中学に行かず、部屋で黙々と父親がビジネスに使えるという理由で買ってきたものの数日もしないうちに放り出したパソコンを日付を忘れるくらい弄くっていた。利用方法はネットゲーとオークション。その余りの集中ぶりにマドカは食事することすら忘れさせた。そのおかげで体重は日に日に落ちていったものの、食生活の偏りと日光に当たらない生活が祟ったせいか常に貧血気味に陥った。
ある日、ネットゲーで知り合った『ゲノム』という人からオフ会に誘われる。最初は、幼稚園の時から培ってきた人間不信とネット特有の存在感の希薄さ、ニュースに流れる「ネットで知り合った女性を殺害!!」のテロップから遠慮気味だったが、マドカの悩みや愚痴を全て聞き入れて、マドカが話すどんなに不条理な事でもマドカを肯定・擁護する姿にマドカは「ちらっと会ってみて、もし気持ち悪かったり危なかったらすぐに逃げ出そう」と安易な考えで警告音を鳴らす自分の心を黙らせ会うことにした。
夕日が沈み辺りを闇とネオンが包む駅前、マドカは久々の外出で自分の周りを過ぎ去る多くの人に怯えながら、約束の時間が来る事を願っていた。
マドカが人ごみが発するプレッシャーに気持ち悪さを感じ、吐きそうになって手で口を押さえたその時背中を誰かに押された。そのショックで胃液が口内に逆流し口の中がすっぱい液体で充満しその辛さで涙目になりながら振り向くと、スーツをビシッと着込み、青い縁のメガネを掛けた20代後半の女性が立っていた。見知らぬ人にマドカは怯えて後ずさりした。女性はそんなマドカの様子を知ってか知らずか、微笑んだまま「MADOKAちゃんでしょ?わたし、私、ゲノム」と答えた。マドカはゲノムという人物がゲームで男性キャラを使っていたこともあり、また言葉遣いも語尾を強める傾向から男性だとばかり思っていた。驚くマドカを尻目にそのゲノムはマドカの手を引き、駅前に陣取る居酒屋に連れ込んだ。ゲノムはテキパキと店員に注文すると、最初に来た生ビールをぐいっと飲み干し、マドカに改めて自己紹介して、マドカの容姿を褒めた。他人に貶される事があっても褒められる事が無かった(特に容姿に関しては)マドカは有頂天になりまるで目の前で酒気を帯び顔を赤らめるゲノムがまるで女神様のように見えた。何がってもこの人だけは私を認めてくれる。きっと私の事を分かってくれる。マドカにとって初めての友達となった。
しかし、その希望はまるで突風に煽られるろうそくの炎のように呆気なく消えてしまう。ゲノムはマドカと知り合って三ヵ月後、下弦の月が輝く夜にその命を奪われてしまう。巷を騒がせている連続通り魔の六人目の被害者となった。
長時間のパソコンでドライアイになり眼精疲労をとるために点眼した目薬によって視界が奪われているマドカの耳にそのニュースが聞こえた。最初は気にも留めていなかったが、次第に回復する視界、TVに映るゲノムの姿にマドカは驚愕した。慌ててTVにがぶり付いた。が、時すでに遅し、その話題が女子アナの笑顔で終わり、「有名人が教える老舗の味」と題したグルメコーナーに移り変わった時、マドカはさっきのニュースが誤報である事を願いパソコンに向かった。ニュースサイトを見るとさっきのニュースが真実である事を伝えていた。
マドカは泣いた。そして、部屋中にある物を投げ飛ばし、ゲノムの死を映すパソコンのディスプレイを窓の外に投げた。一呼吸置いた後に窓の外でガッシャンと音が聞こえてもマドカは部屋の破壊を止めなかった。そして部屋中の物が燃えないゴミと燃えるゴミだけになった時、マドカの衝動は自己に向いた。ゲノムのいない世界に意味なんて無い。


マドカが気を取り戻したときに、初めて見たものは白い空だった。
しかし、それは空ではなくよく見るとただの天井で等間隔で設置されている蛍光灯に現実が重く圧し掛かった。
よくよく周りを見渡せば、点滴が吊るされている鉄の棒に、自分に覆いかかっている白い布、自分が意識を取り戻し驚く看護士。そうか、ここは病院なんだ。
マドカはベッドに少しずつここに至った経緯を思い出す。何故手首を切ったのだろう? ゲノムさんはそんな事を望むはず無いのに。
そして、何故死ねなかったのだろう? 生き恥をまた増やしてしまった。
後悔と挫折と絶望がごちゃまぜになって全てを諦観して、この世界とコンタクトする事が馬鹿らしく思えた時、看護士はマドカに気を失っていた時に起きた事を教えてくれた。死にかけの私を見つけて救急車を呼んでくれた人がいる。そうか、私が死んでしまう事を悲しむ人がいるんだ。家族でもないのに、私と面識が無いのに、きっとその人は私を必要としてくれるんだ。私にとってゲノムさんが必要だったように。きっと私を助けくれた人は私が必要なのだ。私は生きよう。必要とする人を失った悲しみは十二分に味わった。こんな悲しみ誰にも味あわせたくない。だから、私を必要とする人の為だけに生きよう。
出来れば、私もその人を必要だと思ってくれたらいいな。
マドカは誓った。これからお見舞いに来る命の恩人に訊ねようと。
もし、その人が私を『必要だ』と言ってくれたら、どんな事があってもその人を想い、最大級の愛を与え、力の限りその人の人生から悲しみ除こうと。