彼女の予言

 全て偽りである。現実ではない。創造であり小説である。


 彼女との出会いは、私が行きつけの蕎麦屋ソースカツ丼セットを初めて食べた時である。
 ソースカツ丼の薬味としてついた大盛りのカラシをカツに塗り過ぎて溢れる涙を拭いながらソースカツ丼を食べていた時です。
 食事時だったのでざわつく店内で誰かに呼ばれたような気がして顔を上げると彼女が不思議そうな顔をして立っていました。私の食事など観ていても面白いものは無いので不思議そうな顔で見返すと、彼女は私に向けて、「それってそんなにおいしいの?」と言って来ました。これが私が初めて聞いた彼女の声でした。
 見知らぬ人間からの唐突な質問に私はその時大きく動揺して、言葉が出ずにいると彼女は少し疲れた顔をして再度私に質問をしてきました。
「私はその料理を毎日運んでいるけど、涙を出して食べている姿を見たのは初めてだったの。涙が出るほどおいしい?」
 私は、辛いモノが苦手なので涙が出ただけなのですが、その時は気の迷いで「君が運んできてくれたからね」と、今思えば答えになっていない回答でしたが。口に出してしまいった手前、もう後戻りは出来ませんでした。
 彼女は鼻で笑うと、店の奥に戻ってしまい。私はその時、このブログで書くネタが出来たと後悔と言う気持ちを良い方向へとシフトさせようと思っていました。
 食事と会計を済ませて外に出ると北からの強風に身体が揺られました。群馬県は名物と謳っているほど北風が強く冬になるとその強風に雪山からの冷気が混じり、風が頬に刺される様な装いをします。夜の帳が寒さに拍車をかけていました。
 駐車場に止めた車に向けて駆け出そうとした私の前にさっきの彼女が立っていました。
 彼女は黒のハーフコートを着て、茶色を基調とした黒と白の横縞のマフラーで口元を隠し私を睨みつけると、車で着ましたか? と訊ねてきたので、私は頭を縦に振ると彼女から同乗を求められました。理由を聞けば、乗っている自転車が盗まれたので帰るアシが無いとの事でした。私は知り合いや家族に連絡したらどうか。と質問すると彼女は困惑した顔で、無理と一言答えるだけでした。
 住所を聞くとここからそれほど遠くない場所だったので仕方なく車に乗せました。無職で金が無いのでトラブルは嫌でしたが、夜道を女の子一人で歩いて帰らせるのはさすがに後ろめたい気持ちがあったからです。
 道中に会話はなく、彼女のナビに私が答えるというただそれだけでした。赤信号で助手席に座る彼女に目を向けるとコートの端から出たスカートが某女子高のモノに似ていると思い出し、彼女に何気なく高校生? と訊くと彼女は、身体を震わせ仰け反って驚いた後にゆっくり、そうです。と小声で答えました。その食事中の小動物にチョッカイを出した時のようなオーバーリアクションに今度は私が鼻で笑い返しました。
 3階建てのアパートの前まで来ると、彼女がアパートの明りの着いた一室を指差して、あそこが私の家なのでここで大丈夫です。と言うので車を止めると、彼女はそそくさと車を降りてドアを閉めると深く礼をしてアパートに向かって駆けっていきました。彼女の後ろ姿を見ながら、こうゆう時に出来る男は電話番号を聞いておくのだろうと思いましたが、金も職もない、かつ29歳の私が高校生とうまく行くはずがないと思い何もせずタクシーの如く送迎した私は自身を肯定させました。
 その後、彼女に会うのが恥ずかしかったので例の蕎麦屋に寄らない生活が1週間くらいした時の事です。車の座席の下に赤いキャラクターモノのキーホルダーのついた鍵を見つけました。
 私はコレを彼女と再会する運命だろうと早合点しました。もちろん鍵が彼女のモノで無い可能性は多いにありましたが、彼女のモノである可能性も同時に存在していました。彼女に鍵を見せて、それが当たりであれば彼女に感謝され、外れれば彼女から「ちがう」の三文字を戴く。どちらに転がっても彼女と正等に会話する口実の誕生でした。
 その夜、出会ったあの時と同じ時間に蕎麦屋に行くと彼女の姿は無く、店員に聞けば今日は休みだとの事でした。諦めて後日彼女がいる時の蕎麦屋に行けばよかったのですが、鍵を見つけた時から運命という見えない何かに後押しされていると陶酔していた私は、彼女のアパートまで向かってしまいました。
 あの夜に彼女が指を差した部屋の前まで行くと、表札に男性の名前と同姓の女性の名前が並んで書いてありました。父子家庭か、それとも夫婦か。その名前の並んだ表札を観たときに、それまで漠然と幻想上の生き物のような彼女の印象が一瞬に崩れて、生々しい彼女の日常感が脳内に雪崩れ込んできました。これ以上踏み込む事はいけないような危機感を覚えました。こんな時に彼女が扉を開けて出てきてくれたらどんなに楽だろうと。
 チャイムを押すべきかノックをすべきか、それとも立ち去るべきか。逡巡している私に隣の部屋から恰幅の良いおばさんが現われて何をしているのか訝しげに訊ねてきました。私は咄嗟にここで鍵を拾ったのだがこの家の人のものか分からないんです。と嘘を付くとおばさんは私の持つ鍵を見て、自分の家の鍵とよく似ているからきっとこの家のモノだろうと答えてくれました。おばさんの薄い根拠の答えは、私に次の行動を急かさせました。こうなるとチャイムを押すかノックをするしか無いのです。おばさんの視線が疑問に染まる前に行動しなければ怪しまれてしまいます。意を決してチャイムを押すと数秒後ドアから錠の開く金属音と共に、無精ひげの生えた小麦色の肌を持つ50代くらいの男が眠たそうな顔をして登場しました。私の脳内に冬眠中の熊の目覚めとはきっとこのようなモノだろうとイメージが走りました。男に、扉の前に鍵が落ちていたのですが、そちらのモノですか?とたどたどしく言うと、男は視線を鍵に合わせ、そうだろうよ。と少し強引に私の手から鍵を奪うと扉を閉め鍵をかけました。呆気に取られる私におばさんは、おやすみと言い部屋に戻っていきました。私もいつまでもそこに立っている訳にもいかなかったので車に戻り家に帰りました。帰路にて、私の思い描いていた運命というものは欠片すら心に残っていませんでした。
 あの鍵が彼女の家のモノであったのか、それとも車に乗った事のある友達や知り合い、家族のモノなのか、今となっては分かりません。
 蕎麦屋に行って、彼女に鍵を君の父親(父親とは確定していませんでしたが)に渡した。と訊けばよかったのですが、彼女の知らない所で私と彼女の父親が対面している事実や私が浮かれて彼女の家にまで足を伸ばした事を伝えるのが恥ずかしく、またあの鍵が彼女のモノでなかったら泣きっ面に蜂と思い私は、知らぬが仏と蕎麦屋から足を遠ざけました。
 後日、家に暖房がない私は、暖房の効いた暖かいファーストフード店が食事をしながら本を読んでいた時の事です。テーブルを挟んだ向かいの椅子が動く音がして視線を上げると彼女がいました。驚きと妙な感動を覚えた私は目を丸くして「どうしたの?」と口から言葉を漏らすだけでした。彼女の異変に気付かずに。
「世界が終わります」
 彼女は椅子に座るなり、私の後ろの壁を見るような遠い目をして言いました。
「せ、世界って?」
「もうすぐこの世界が終わります」
「そ、そそっ、それってマヤの予言とかそうゆうTVの話?」
 彼女の髪がボサボサで目はウサギのように赤く、右頬が紫色に変色している事にその時気付きました。
「もう終わりです。もうダメなんです」
 彼女の服装は乱れ、コートのボタンは取れかかっていました。
「ありがとうございました」彼女はその場から去っていきました。
 私は言葉を失いました。その時に持ち合わせる言葉を私は用意していなかったんです。もし、あの時に戻れるならば、彼女の手を握り最大限の努力と励ましを行ったでしょう。
 でも、その時の私はこの後の最悪を知りえなかったんです。予感だけで動けるほど軽快な心と身体は失っていたんです。
 二週間後、背広を着た男二人が私の元に来ました。
 彼らは背広の内ポケットから警察手帳を少しだけ見せると身分を明かし、彼女の写真をチラ付かせた時、私の思い描いていた最悪が襲来した瞬間でした。蒼白になった私の顔を見て刑事の一人が身構え、もう一人がソレを正しました。きっと私が彼女に対してなんらかの犯罪を犯したとでも思ったのでしょう。刑事は、私と彼女の関係や私が彼女の家に行った理由を尋ねてきました。話の流れから、彼女はこの世にもういないと読み取る事が出来ました。私は寒さではない身体の芯からくる震えに舌ったらずになりながら彼女との出会いからファーストフード店での会話を全て話しました。彼女の死因を訊くのはとても怖かったですが、もう逃げる訳にはいきませんでした。
 部屋で首を…、刑事は言葉を濁しました。
 私はその場で泣き崩れました。
 彼女の住んでいたアパートは空き家になっていました。
 彼女が働いていた蕎麦屋は彼女がいなくなった後もなにも変わらずに営業しています。
 彼女の存在なんて元から無かったように。

 私はふと思います。
 彼女が言った、世界の終わりとは“彼女の世界の終わり”だったのでしょうか。
 それとも、もうすぐ訪れる世界の終わりを“彼女は恐れてこの世を去った”のでしょうか。


マヤの予言は2012年12月21日です。