君島直樹は戦慄 6

6.
結果をいえば、両腕は無事だった。
切断される瞬間、僕に赤い雨が降り注いだ。それは腕を切られた為に飛び散った血液だと思った僕は絶望の中に腕に対して別れの言葉を捜していたが、その言葉を記す指がまだ存在している事に驚き、雨の元を探すと奴の首から滝のように血が流れていた。「首の皮一枚で助かった」という表現があるが、奴の首は正しくその通りで皮一枚(正確には皮以外にも肉が付いていた)で体と頭が繋がっていた、違う事は奴は「首の皮一枚では助からなかった」事だ。
更に驚き、恐怖であれまでに頑なに掴んでいた足を離すと奴は支えを失ったように後ろに倒れた。倒れた奴の後ろに人影が見える。その姿はまるで中学生のような背丈で上下黒のジャージ、ぼさぼさの黒髪にまるでビー玉のような大きなブラウンの瞳の少女だった。これだけの人物描写なら、そこらの中学校に行けばゴマンといるだろう。ここからが、そこらの中学生との違いだ。彼女は、右手にチェーンソーを持ち握っている手が外れないように何重にもガムテープで固めていた。和製レザーフェイス。容姿が可愛らしい分、その不釣合いな工具が不気味だ。よくよく見ればそのチェーンソーから赤い液体が滴り落ちている。新たなる敵。彼女こそ僕が長い人生で危惧していたライオン。
疲労か、血液が流れすぎたのか、それともその両方か。僕は指先一つ動かすことが出来なくなってしまっていた。
彼女は、そんな僕を知ってから知らずか、僕の前でチェーンソーを再起動してチェーンにこびり付いた血液を飛ばすと、奴の解体を始めた。まずは五体をバラバラに、その次に胴体を二つに別けて、両手両足の関節部分を両断。そしてまたエンジンをふかし血液を飛ばす。笑顔。大満足ようだ。まるで職人が自信作を生んだように、彼女にとって今日の解体は納得のものだったのだろう。手馴れた手つきから何人もの命をそうやって奪い、解体していることが分かる。そして、その順番がもうすぐ僕に回って来ることも。
彼女はバラバラになった元人間の肉片を手早く用意していたゴミ袋に投げ入れると、僕の元にゆっくり近づく。何か言っているが、エンジン音と奴に殴られた後遺症か耳が遠い、何を言っているのか分からない。どうせ「これから殺す」とか「今世に別れの言葉は?」とか「バラバラにするけど何処からがいい?」とかそんな言葉だろう。どうでもいい。彼女が満足するならバラバラにされたって、ただもし願いが通じるならゆかりや僕の友人の元に行ってそんな暴虐行為だけはしないでくれ。



夢があの世か。
僕は気付くとベニヤ板で出来た部屋にいた。8畳辺りの大きさの部屋には家具や装飾品は一切無く、窓も扉も無い、地面は白いアクリル板で出来ていた。
地獄や天国、極楽なんて信じていなかったけど、あの世とはなんとも殺風景でつまらない世界だろうと僕は項垂れた。
あの車に乗っていた人はちゃんと逃げられただろうか、彼女は何だったのだろう。奴を解体しているときの満面の笑みは快楽殺人者というよりも、使命感の達成、自己の確立のように思えた。僕がトイレから飛び出した時の顔に似ていたようだった。
まぁ、何を考えても全て無駄だ。何故なら僕は死んだのだ。死んでベニヤの箱に仕舞われた。
いろいろ在りすぎて一眠りしようと部屋の真ん中に寝転がると、天窓があった。この部屋に光を取り込むためだろう。天窓の先も雪が降っていた。いや、雪のように降る光の塊。天窓に当たると音も無く消える。あの世の天気というものはなんとも乙なものだ。



何時間寝たか分からないが寝過ぎて体が重った。
誰が掛けてくれたのか、毛布が覆いかぶさっていた。
そして、バイタルを計測する機械も、点滴も、窓も、ベットも、可愛い看護婦も、鳥の囀りも、親父も、おかんも、ゆかりも。
ゆかりも?
ゆかりも死んだの?
「直くん、元気?」
泣きじゃぐりながらゆかりは僕に訊ねる。その寝不足気味な目と乱れた化粧のお前の方が大丈夫かよ。
「元気元気。なんだか随分ゆかりに会ってなかったような気がする」
ゆかりは、安堵して僕に抱きつく。
「やめろってみんな見てるだろ!」
抵抗すると両肩に激痛が走った。こうなれば、見せつけてやるしかない。
「よかった。ほんとよかった。ありがとう。本当にありがとうございます」
ゆかりは、誰に感謝しているのだろう。僕はあの部屋から見た、光の雪がこの世界でも降っていないだろうかと窓の外を見たが生憎(?)の晴天で僕はやっと安心が出来た。
付けっ放しのTVからニュースが流れる。『空飛ぶ少女が自殺志願者を救う』『各地で豪雪により交通事故が多発』『今度は警察官が被害に、どうなっている連続通り魔事件?!』『またメジャー移籍?』と、あの惨劇を伝える報道は無かった。また連続通り魔はあのバラバラにされた男でもなければ、チェーンソー少女でもないようだ。
「なに、難しい顔してるの?」
「あっ、あぁ。僕ってどうやって助かったの?」
「なんでも病院の前に倒れていたんだって……。どうしたの、覚えてないの?」
病院の前に、公園の近くには病院なんて無かったはずだ。なら誰が僕を助けたのだろう。チェーンソー少女か?何故殺さない、僕が警察に通報するかもしれないのに……。
そう不審に感じた時、僕の携帯がけたたましく鳴った。腕が動かせない僕はゆかりにとって貰う。
「メールだって。見ていいい?」
「見ていい。って誰からだよ」
「知らない。電話帳には登録されていないアドレスみたい」
「まぁ、いいや。とにかく読んでみてよ」
ゆかりはワクワクしながら携帯を開くと内容を黙読する。すると、顔が次第に険しくなり、そして呆れた顔で僕に携帯の画面を向ける。
「間違いメールか、いたずらじゃないの?」
ゆかりはやや怒り気味だ。


件名 お元気でしょうか?
内容 大怪我をなさってましたが、お元気でしょうか。あの夜の事をもし他言したならば命は無いと思ってください。あなたの身分は財布に入っていた学生証より確認済みです。もし、逃げようとしたり、警察に保護を求めようとした際はご家族ご友人の命の保障はいたしません。
また、もし何かお困りの際にはご連絡を。素早く解体いたします。あなたの回復を心より願っております。
                           サク子


ライオン再来。
より、現実的なライオンが現れた。
ただ、昔のように恐怖は無い。それは僕が黙秘を続ければ襲わないという条件があるからではなく、あの夜で培った心の強さが内在するからだ。もし、チェーンソー少女が現れても恐れることは無い。逃げたり篭ったりせず戦えばいいのだ。向き合う事が怖いことだ。でも向き合わずに目を逸らし続ければヤツは、戦慄は自分の思いだけ大きく強固になる。一晩で終る脅威に一生怯えるなんてアホらしい。見間違えない為にも向き合わなくては。
「ゆかり、完治したら何処かに旅行に行こう」
僕は恐れない。いや、怖い事が無いわけじゃない。怖い事から逃げない。
「えぇー、いいけど。何処に行くの?」
「まずはそれを決める為にファミレスかな」

                            〈了〉