元気のGはガッツのG

振り返れば10月だった。

アニメ(前期)

思っているよりもアカメが斬らない。いろいろな悪を主人公らが倒すファンタジー世界を舞台にした必殺仕事人みたいな話になるのかと思ったが、数話経つと巨悪である国王と目標に三歩前進しては(仲間がやられて)二歩下がるを繰り返す展開。思うに主人公ら反政府組織ナイトレイドと、帝国女将軍エスデスとその親衛隊の日常を交互に対等に描き出すことによって各々の正義のあり方を表現して、勧善懲悪という一方通行の流れを拒否しているのだと思われるが。話の展開スピードが遅く実にじれったい。まぁ、タイトル通りに「最終回はアカメが斬る」となっているのだろうから、すべてはそのシーンまでのお膳立てなのだろう。

  • 『さばげぶ』

「なかよしにて連載されているサバゲー漫画」という看板が最初に掲げられ、多くの人間が「なかよしって事は女向けかよ」とか「サバゲー漫画・・・・・・うぽ・・・C3・・・うぅ」と悶絶を上げたりしていたが、実際に放送が始まってみると斜に構えていた人や過去のトラウマに怯え銃身を口にくわえていた人達が「これでいいんだよ、これで」と大満足していた。アニメが始まる前に単行本1巻だけ読んで視聴に備えたが、単行本ではイジメに怯える少し内気な主人公だったがアニメではその描写が一切存在せず最初から人の皮を被った悪魔であった。また単行本では女性読者へのサービスか女性誌でのお決まりなのかイケメンが現れたがアニメでは「男は面白い奴しか存在してはいけない、ゆえに百合の世界」と改変していることも「メディアの違いを理解せよ!」という角川の某生徒会からの提言が生かされていた。

偉い人が「最近の視聴者は最初の三話でそのアニメの良し悪しを決める。ゆえに三話までにどれだけ視聴者に作品の魅力を伝えるかが大事なんだ」と申してまして。その意見に賛同した人が多いようで、出来るだけ序盤はド派手に、某匿名掲示板でスレッドが経つように、まとめブログに持ち上げてもらえるように努力する姿がみれるんですけど。そうゆう傾向に走る作品って往々にして頭をでっかくしたせいか尻つぼみな終わり方を迎えることが多く。この作品もその例に漏れずに、第一話で主人公らが都庁を爆破して911ぽい演出で描いた1話だけが面白く回を重ねるごとに魅力が低下していくアニメであった。中盤のナゾナゾ合戦までは見れたが、ハイヴの出番が長すぎた。無能力のヒロインが単なる場をかき乱すだけの存在だとは・・・。

  • 『人生』

序盤は赤松がみなみけの冬樹に見えて「こいつ居なくても、ハルヒみたいな声を出す前田玲奈が司会をすればいいじゃん」と不満を持っていたが、時が経つことに、「お前と理系にフラグが立っているなら、俺は体育系を貰う!美術系でも可!!巨乳を強調する同年代の設定のはずなのにお姉さんポジションになる奴は、アニメにおいて外れくじを引きやすいから気をつけろ文系」と赤松の理系の関係を微笑む俺がいた。めっちゃ仕切っていた。それでも仕切りきれて居なかった。中身の声優さんがイケメンすぎて右手が炭化した。EDの不安定さがかなり好き。聴くドラック。

  • 『スペースダンディ』

スタッフがアニメでやりたいことを好き勝手にやれるアニメ業界のチャンピオンRED
序盤こそ、そのハイペースなノリに多くの人間が戸惑と苦笑を交えたが、いざその波の乗り方さえ学んでしまえば爆破オチだろうか死亡オチだろうが、次回予告で何事も無かったようにしれっと登場するダンディに安心を覚える始末。最終回にいたっては、今までの超常現象が起きる原因をうまく昇華したようなしていないような壮大で安直な終わり方。世界はダンディと共にあったのだ。面白かったけど、深夜アニメ特有の円盤商法では儲からないでしょコレ。みゃうの実家に行く話とダンス星人や転校生の踊る回が好き。QTの声がいいよね(最近9nine聴いてます)

何故作り直して劣化した・・・。

毎週見ていたけど、記憶が欠落していてこのアニメについて何も覚えていません。
ベジータの物まねをする人とイジリー岡田みたいな人の声を聴いた記憶がかすかに・・・処女厨・・・大勝利・・。

  • 『幕末ROCK』

日本を泰平化(ゾンビ化)させようとする江戸幕府にROCKで立ち向かう坂本龍馬新撰組を描いたよく分からないアニメ。音楽に偏って下ネタを消した銀魂ともバンドを組んだ男だらけのシンフォギアとも、演奏すると衝撃波で敵が飛ぶこれは実質仮面ライダー響鬼だと言われていたが、結局はVITAで発売する続編のプロモーションアニメとしてしか理解出来なかった。演奏が極限に達すると服が脱げて最強になる音楽シーンもかなり面白かったが。音楽シーンに行くまでの展開も幕末時代を下地においておきながら、ピザ屋があったりロケットが飛んだり円盤商法をディスったりとやりたい放題で面白かった。絵が兎に角面白かった。面白い絵にかっこいい音楽が混ざり、かっこいい演奏シーンはCGというチカラ配分には驚嘆だぜ!

放送開始当時は「ごちうさ難民の避難所」と言われていたが、きんもざ2期が放送開始するまでごちうさ難民は冬眠に入ったので。このアニメに残ったのは原作漫画ファンか、脚本吉田のファンか、声優のファンか、
よさこいをテーマにした映画って何度も作られているよね」
「え、例えば?」
魔法遣いに大切なこと
「は?」
「あぁ・・実写の方」
「実写あったの??」
というよさこいファンだけだろう。
MADハウスファンはハンターハンター最終回を観て「よく頑張ったな。映画はアレだったけど、無事に最後まで放送出来てよかったよ。あとは冨樫の腰(なんらかのゲームの隠語)次第だな」ってそっちを褒めてくれ。
内容はどうだったかというよ。俺は大好きだった、よさこいアニメなのによさこいをちゃんと踊ったのが最終回というもったいぶった展開も悪くなかった。誰かが加入したり何かが好転するたびに問題が発生する展開が終盤ではちょっとお決まりの天丼ぽくなって面白かったぜ。
文句を言うなら、眼鏡の加入がくっそ遅かったので眼鏡をマークしていた俺の心が中盤では荒み切っていたことと、一回のコンテストに落選しただけでこの世の終わりみたいに絶望するバンドメンバー。

  • 『ろこどる』

普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。」という売れないラノベタイトルのテンプレみたいなラテ欄にあってもアニメとは思われない酷い名前だったが。内容は自体は実に面白かった。主に魚心くんと呼ばれるの奇妙なゆるきゃらが全体を通してうまく立ち回っていたような気がする。主人公と先輩ヒロインとの百合展開も序盤では面白かったが、中盤から加入した魚心くんの奇抜さとソイツを軸にゆるきゃらブームに乗っかってからの全国進出。大型ろこどる(中身、アイマスラブライブアイカツ声優)との勝ち目の無い戦いなどは見ごたえがあった。真面目。

  • 『P4GA』

新キャラであるマリーを軸に再構成されたペルソナ4。公式から今回の主人公はやりこみプレイをしたので最初からステータMAXです。と発言され、第一話から雑魚に暴虐の限りを尽くす主人公に視聴者はワクワクが止まらなかったが。その後の展開が、前作では25(+1)話あったが今回では12話になってしまったので駆け足気味で一年を消化しなくてはいかず、物語の本筋や各々のキャラの見せ場よりもマリーを軸に物語を作ってしまったが、マリーの魅力がイマイチで・・・。(P3でスタッフがアイギスを贔屓しすぎたせいでアイギスアンチが生まれた悲劇がP4でも起きるとは・・・)
そもそも、1クールのアニメ化するほどの内容があったのか。という重大な問題には顔を背ける所存。

55点。

弱虫ペダルの漫画家か書いたタルるートくんぽいアニメ。
主人公が本格的にドスケベなので、ラッキースケベなどという運否天賦まかせの戦法ではなく積極的にエロを狙って行動していく姿には感動を覚えたぜ。
なお猫好きは6話を観るな。

  • 『さすおに』

お兄様の素晴らしさを表現で切れず、意味不明な話が続く序盤と奇妙な俺の考えたスポーツ大会に憤りを感じたが、終盤のお兄様のチートというか、劇中でも言われていたけど神のような素晴らしさに、さすおに教に入信するしかなかった。何かあればザオリク使ってもらえるし。

実写(前期)

いろいろあったが終わって思ったことは、この脚本家の性悪説は半端無いってこと。

鋼牙さんもチートレベルの強さを見せていたが、その息子も親に似てチート過ぎた。終盤で心滅獣身・牙狼に変身して仲間の力で心滅を解いて貰うのかと思ったら自らのチカラで心滅を乗りこなして新たなるチカラ光覚獣身・牙狼にする辺りで「あーあの人の息子だ」と納得。
後番組であるアラサーちゃんでは性をテーマにしながら必死に乳首を隠して放送しているのに、どーんと乳首を出す牙狼スタッフ。もとい雨宮監督に脱帽。

第4部なのでゴローの一度に料理を頼む量に驚かないくらいの気構えが出来ていると思っていたが。それでもコイツどんだけ食うんだよ。と予想を上回る摂取量にそろそろゴローvs草薙剛の図がみえる。

金田一一といえばキンキの堂本(剛)という印象があったが、山田さんも悪くなかった。
同時期に剣持警部とDJサガラを演じるぐっさん。
最終回の後に劇場版の告知があるのだと思っていたら肩透かしを食らったのが残念である。

出演者全員のキャスティングが完璧で、モユルはモユルだったし庵野庵野だった。
岡田がデブでなかったのが、本物の圧力だと信じたい。
原作でもドラマでも庵野が作画を書く為の機械と化して牛乳とサッポロポテトバーベQ味だけを食べて作画を書く姿に回りから、「岡田さん気持ち悪いからどうにかして」という相談に岡田が「大丈夫や無いけど、大丈夫や」という話が好き。
山賀の「食いっぱぐれない」を聴くたびに、ジブリの鈴木の顔をしか浮かばない。たぶん意味は無いだろう。

  • 『HERO2期』

松たか子の代わりに北川景子に変わっていて、他の面子も微妙に変わっていた。
内容はほぼ同じ。
キムタクが前期と変わらないキムタクしていたけど、41歳は少しきついぜ。

ゴジラ(レジェンダリー版)

あらすじ:
フィリピンの炭鉱から見つかった巨大な化石と謎の繭。同年、日本の雀路羅(じゃんじら)市にある原発が不自然な地震によって倒壊してしまう。生き残ったジョーとフォードの親子は、地震の真相を調べるべく放射能汚染地域になっている元原発に舞い戻る。そこには予想していた放射能は一切無く原発跡地には謎の生命体が眠っていた。時同じくして、太平洋ではゴジラが目覚め何処に向かい泳ぎ始めていた。
↓予告編

感想:
ゴジラの特番を観ていたら「GODZILLA」という英語表記に「GOD(神)」が潜んでいる理由が、アメリカでアメリカ版初代ゴジラを上映するときに発音をそのまま表記したら「GOD」という文字が入っていた。という偶然らしい。上手いことを言えば神掛かっていたということか。
ちなみに「GOD」の後の「ZILLA」の部分は、語尾につけてアメリカでは「怪獣のように圧倒的!」な印象を持たせる言葉になっているらしい。

劇場は殆どおっさんばかりで、とっとこハム太郎と同時上映してゴジラ=少年向けだった過去を完全に払拭していた。
思えば、今の子供にとって怪獣映画はずいぶん遠いものにあると思うし、現在はでっかい怪獣よりも等身大の妖怪が流行りである。
席に座るおっさんどものツラは、浮かれているようでもあり98年のハリウッドゴジラのトラウマを再発させるのではないかという恐怖に戦慄しているようでもある心中には深い闇を湛えていた。かく言う私も、雑誌やネットで好評の声が溢れていたが、監督を担当したギャレス・エドワーズは経歴が浅く、出世作のモンスターズは怪獣が潜む日常を上手くは作り上げていたものの、後半の怪獣が出てきてからなんだか微妙になってしまった事から、物語は大丈夫だろうが怪獣プロレスはゴジラらしく出来るのだろうかと不審に思っていた。が、実際に見ると過去のゴジラ作品からいろいろ取り上げていて大満足だった。


(ここからネタバレ)
映画が始まり、昔の極秘フィルム調になにやら不穏な空気をかもし出すOP。
主人公フォードを中心に家族の絆をテーマにした話と、渡辺謙演じる芹沢博士によって世界観や怪獣の紹介が進む。(ゴジラの誕生が、水爆実験で生まれた怪獣でも、ジュラ記から生き続ける怪獣でもなく、太平洋戦争で犠牲になった人々の怨念の集合体でもなく、高濃度の放射能に覆われていた古生代ペルム紀に生存競争の頂点に立っていた存在と紹介される。自然そのもの、神)
話が進み、行く先々で怪獣に遭遇するフォード。飛行機に乗るためにハワイに行ったらハワイで遭遇して、サンフランシスコに帰ろうと思ったらそこでも遭遇ってどんなに怪獣に愛されているんだ。
中盤からは舞台はアメリカに移り変わるがハリウッド映画なので仕方ない。(スカイタワーは壊れない。そもそも東京自体映ってない?)
ムートーの電磁パルス攻撃に近代化兵器が無力化され苦戦を強いられるアメリカ軍。
増えるムートー。(メスがでかい)
ムートーを追いかけるゴジラ
三体の怪獣が集い始めるサンフランシスコを前に、アメリカ軍は核兵器放射能を餌にして三体を沖合に集まった所を爆破する計画を立案する。(困ったら核を打ち込むというアメリカのスタイルが凄い)
作戦は見事に失敗し、核ミサイルはメスのムートーに奪われサンフランシスコの巣に運ばれてしまう。このままではサンフランシスコに核の火が・・・。
そこで、爆破物処理担当のフォードを筆頭に核ミサイル奪還作戦が決行。(USA!USA!!)
サンフランシスコに上陸するゴジラアメリカ軍の攻撃を一切無視してムートーに向かう。(ムートーは敵意を見せる人間に攻撃するんだけど、ゴジラは人間を一切無視するのは良かった。破壊神とも救世主ともとれる行動)
ムートー夫妻とのバトル開始。2対1に苦戦するゴジラ
フォードはムートーの巣から無事ミサイルを取り出し、置き土産に巣を爆破する。(自分の巣にタンクローリーを置いちゃうムートーのドジっ娘属性が溢れる素晴らしいシーンである)
炎上する巣に唖然となり、火を消そうと駆け寄るムートー(ドジッ娘
好機を見出し反撃に出るゴジラ。(今までのゴジラ作品だと、弱っているゴジラを助ける為に人間が何かアプローチをする展開が多かったが、今作ではゴジラisGODなので。神と人が対等になることはなく。フォードの行為はゴジラを助ける為ではないが結果的にゴジラを助けている間接的な助力演出良かった。)
放射能熱線が青く、今までの太いビームぽいものではなくブレスになっている!
尻尾のなぎ払いでビルに埋もれるムートー(オス)。(ゴジラの尻尾なぎ払いも歴史あるから)
子供を殺されたフォード達に敵意をみせるムートー(ドジ)
「くっそ、蓋が開かないから核ミサイルの解除が出来ない・・・」フォードよ、お前の爆破物処理担当って設定は一ミリも使用されることは無かったな・・・。腕力だけで蓋を開けようとするシーンには、お前は筋肉馬鹿かと思ってしまったよ・・・。
ゴジラが現れて、旦那を失った未亡人ムートーの口内に熱線をぶちかます。ニッチなアダルトDVDみたいな仕留め方をする。
ムートー(壇蜜)の頭をもいで上機嫌になるゴジラ。(「俺がチャンピオンだぜ!」とも「ご先祖様の勝ったよ!」とも取れる)
疲れてその場に倒れるゴジラゴジラの様子を伺うように集まる人々。(ゴジラのまわりをカモメが飛んでいるんだけど、それが死体に集る蝿ぽくて良い。)
妻と再会するフォードと息子。(いつ息子と出会った?)
突如、開眼し海岸に向けて歩き出すゴジラ(開眼と海岸を掛けた・・・)
人々はその姿を歓喜の声で見送るのだった。


2014年のサンフランシスコだから超高層ビルばかりで、ビルとビルの間で怪獣が戦うことになり、怪獣の大きさを上手く表現できないのかなーと思っていたが、怪獣と人間の対比をうまく使っていて怪獣の大きさがアリアリと浮かんだ。(欲言えばパシフィックリムでも思ったが、1シーンくらい明るい場所で戦って欲しかった)
一貫して、人類VSムートーで話が進んで、ゴジラを舞台装置としているのも良かったわ。リブートするからと言ってゴジラVS人類をやられたら、いろんな人の気持ちを考えて、どっちつかずな終わらせ方しか出来ずカタルシスが残ったと思う。第一作からムートーという悪意の矛先を作った点は良かった。
放射能を吐くゴジラの対比で放射能を吸収するムートーという図も素敵。(そこから原発なんかの社会批判に傾かなかったことも良し。あくまで怪獣映画。原発や電気に頼りすぎた現代社会というメッセージ性は残してもよい。)
ゴジラシリーズの流れから考えると、ファイナルウォーズというお祭り映画の後にコレを観た方は「もっと怪獣同士の戦いが観たい」という欲望が生まれるのは仕方ないといえば仕方ない。たしかに怪獣の戦いは終盤だけだからね・・・。(そうなると、怪獣映画だけどパニック映画よりなのかもしれん)


総括すれば、
2時間ある上映時間を飽きることなくみれて、EDには「もうちょい見せろ」くらいの気持ちにさせてくれたので満足のいく出来だったと思う。
次回作はラドンモスラキングギドラが登場するらしいが、ラドンモスラはなんとなく登場させることは出来そうだけど。キングギドラを出すとなるとやはり異星人もでるのだろうか・・・。楽しみである。


余談。
渡辺謙の芹沢博士って、核を使わずに怪獣同士を戦わせようと提案されて即却下されてしょぼくれたりするシーンを観ると芹沢博士というよりも山根博士ぽいよね。

余談2。
ゴジラの首周りの太い。
CGだけどモーションキャプチャーとか使っていそうだから、変な話人間がノシノシ歩いているぽくてゴジラらしさが出ている。

余談3。
東映の意向か知らんけど、一度くらいはゴジラのテーマを流して欲しかった。

余談4。
ゴジラの特番で、いろいろな関係者が「ゴジラとは神」だと言っていて、ビオランテの大森監督だけが「ゴジラとは映画の中でしか存在できない生き物」というのは中々感慨深いものがあった。

スノーピアサー

あらすじ:温暖化を防ぐ為に世界に散布された科学物質によって雪と氷に覆われた惑星と化してしまった近未来の地球。生き残った人間は地球上を走り続ける列車スノーピアサーの中で暮らしていた。列車内部では、前部車両に住む富裕層と列車を作ったウィルフォードが後部車両で乞食同然の暮らしをする貧困層を支配する格差社会と成っていた。貧困層に住むカーティスは彼らの暴虐な支配に立ち向かう為、仲間と反乱を計画する。
↓予告編


感想:
『撮影が殆ど列車の車内セットなので「どうせ低予算映画だろ」とあまり期待しないで観たら予想以上にぶっ飛ぶところはぶっ飛び、決める所は適度に決めている面白い映画であった。(後で知ったがグエルムの監督の最新作なのね)』


貧困層で暮らすカーティス達は風呂も満足な食事も無い酷い環境で定期的に富裕層に子供を攫われる劣悪な生活を送っていた。ある日、兵士の持つ銃の弾薬が尽きていることに気づいたカーティスは仲間を連れて一揆を企てる。カーティスの予想通りに弾の出ない銃を振り回す兵士を数で圧倒し、最先端のエンジンルームを目指し邁進していくカーティスら。
一つの車両を開放するごとに彼らには、自分たちの知らなかった真実を目の当たりにしていく。
序盤に出てくる富裕層代表の演説おばさんが「これはなんですか?これは混沌の象徴です」「靴は頭に乗せるものではない」と延々とうざったい演説をかます姿は実に憎たらしくて良い味出していたね。その後も出番多くて、最後はどうなるんだろうって思ったらあっさり死んだけど。
兵士との全面戦争に入ってここから血で血を洗うアクションシーンか? と思わせての新年の挨拶には、肩透かしを食らったがそれを承諾して飲み込んでこそこの映画を見る正しいポジションを理解できると思う。真面目じゃダメなんだと。
中盤のトンネルでの戦いで機転を利かせるカーティスと伝言ゲームの先で聖火ランナーのように登場する子供は、本当に燃えた。腕を失ってからテンションと機動力が上がったナイフ投げおっさんの無双も良かったわ。兵士達はあの狭さなら最初から斧ではなく槍を使えよ。
その後、海洋ブロックで寿司食ったり野菜ブロックで野菜かじったりと列車が想像している以上の大きさだと伝える描写があり学校ブロックですよ。教師も子供も古き良きアメリカって感じでバイオショックを連想させるアレ。陽気な音楽にあわせてヘンテコな歌を歌って、流れてくる映像を素直に賞賛する。(見る分にも)どーしよーもない感じ。
このまま変態列車旅行記になるのかと思ったら、突如銃撃戦が始まり「やっぱりあったのか弾丸」とワクワクしたら教師はあっさり負けてカーティスはサブマシンガンをゲットして強化。
ホモっぽい警備主任みたいな人との戦いや進むごとに廃退的になる車両。
ウィルフォードのいるエンジンルーム前にたどり着くと、カーティスが自分の過去をポツポツとしゃべりだすんだけど。それはもう悲惨。途中で貧困層の中で物知り長老の役割をしていたギリアムに「俺は両腕があるからリーダーなんて無理だ」と言っていたカーティスの真意がビビっときて驚いた。その時は、反逆すると罰として腕を凍結されて切り落とされるから「両腕がある」ってのことは、「一度も反逆せずに今まで生きてきてしまった」っていう自責かと思ったら。飢餓の時に腕を差し出すことが出来なかったという後悔だったのね。
扉が開いた先に待つウィルフォードは完璧に魔界塔士 Sa・Gaの「かみ」でしたわ。
18年間も列車を走らせていたら暇だし、人口が勝手に増えるから、そいつらの処理と暇つぶしにお前らに革命をおこさせてやった。トンネルの戦いで全滅する予定だったのにお前らが知恵を使って勝利するとは・・・。ってチェーンソーでバラバラにしたいタイプ。
カーティスの頭の良さと度胸を買ってウィルフォードは自分の席を譲ると言い出し、心がぐわんぐわんするカーティス。なっちゃおうかなーって思ったら、ヨナが壊れた部品の代わりに連れ去られた子供を使っていることを見抜き激昂するカーティス。そうだ母親と約束しただろ忘れんなカーティス。ウィルフォードをぼっこぼこにしたカーティスは腕を犠牲に子供を助け出す。
ナムグンが列車を爆破させヨナと一緒に白銀の世界に逃げ出す。気温が上昇しているらしいから頑張って外で生きるんだと。


最終的にナムグンとヨナだけ助かるってのはどーなんって気もしなくも無いけど。
最後まで勢いがあるので2時間という上映時間を苦に感じることなく見ることが出来る映画であった。
いろいろ突っ込むシーンや「これどうなん?」って描写はあるけど、あんまり気にしないで観ることをオススメする。
そんなに悪くないよ。すこしグロいけど。


余談1.
ナムグルとヨナってグエルムのあの二人だったのね。道理で見覚えがあったはずだ。

余談2.
ヨナの透視能力が作品上浮いていたので、「凄く耳の良い娘」くらいの設定にして「扉の向こうで大勢の足音が聞こえる」とか言わせれば良かったのに。


スノーピアサー [DVD]

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劇場版SPEC 〜結(クローズ)〜爻(コウ)ノ篇

あらすじ:シンプルプランに感染した当麻であったが、それはただのインフルエンザウィルスだと検査され周囲は一応の安堵を見せる。が、腑に落ちない当麻。プロフェッサーJの真の正体を探り当てるが、時すでに遅し彼がSPECホルダーの虐殺を終えた後であった。凄惨な現場を見た当麻はシンプルプラン計画を生み出した秘密結社への怒りを募らせるのだった。
しかし、それはセカイの思惑の一部で・・・。


感想:
うーん、漸ノ篇は当麻と瀬文が走り回って、銃撃戦もあったりして、野々村が死んだりして。超能力者VS刑事という図が残っていたんだけど。爻ノ篇は掛け値なしで見る価値が無かった。シナリオも酷いが中盤からのCG連発にはあきれ返るくらいつまらない。見栄えもしないし。これをTVシリーズから続けてきた作品の集大成とするならば、お世辞なしでファンは幻滅するだろう。
個人的には、一般人である(当麻は違うが)刑事が己の信念と法に基づいて、知恵を絞り犯罪を犯す超能力者と戦うTVシリーズが面白かったので。一般人が世界を牛耳る秘密結社や世界(セカイ)なんかと戦う話を求めていなかった。超能力者という特異なモノがある世界なのに、ただの刑事がそんな大きすぎるモノと戦うのはなんだか凄くナンセンスに覚えた。いや萎えた。刑事が秘密結社と戦って世界を救う話なんて古今東西たくさんあるし、その中にはSF要素の入った話もあるけど。SPECって元はそうゆう話ではなかったでしょ。特にこの作品は、今まで定番であった話の流れ「変な事件が起きる」「捜査に乗り出す」「敵のスペックホルダーに出会う」「謎を解く」「戦う」という流れすら存在せず。スペックホルダーの死から当麻が切れて天変地異が起き始めてなんやかんや言い合いがあってボス撃破って爽快感無さすぎ。どんな超能力バトルがあっても、瀬文が馬鹿根性で挑む姿が作品の唯一の根の張った所だったのに、その瀬文も早々に退場して美味しいところで戻ってくるだけの存在に成り下がっていたのもマイナスだったなー。停止して立っているだけでもいいからその場に存在するべきだった。あとは仲間のSPECホルダーが集合したシーン。翔でもそんなシーンがあったけど、翔ではサトリや冷泉の能力を凄くうまく使って戦っていて漫画やアニメぽい良い意味で王道展開に盛り上がったんだけど。今回は仲間が増えて登場したのに、能力を使って戦うのではなく「答え合わせ」になっていたのが萎えた。戦うといえば、相手が霊体だから意味が無いかもしれんが。最後の劇場版なんだから戦闘シーンにももうちょい力を入れろよ。無理言って格闘シーンとか絡めて欲しかったなー。屋上で台詞回しするだけって地味すぎるだろ。地味を隠す為にCGをもっさり入れるとか邦画のくそな部分すぎるだろ。
オチもどっかで見たようなありきたりな展開でつまらなかったよ。命を引き換えに世界を守った主人公がヒロインに認識されて実現するって何十年前のSFアニメだよ。

なんか00年代の第二のエヴァを狙ったアニメの脚本をそのまま流用したような雰囲気だったなー。


余談1
前後編になると決めたら、その前後合わせた三時間を丁寧に半分にして上映しなくてもいいやで。「最初は3時間だったけど、前後編にすると決まったので前編2時間。後編2時間半に変更しました」ぐらいの気迫をみせろ。
そもそも、三時間掛かる映画なんてこの世にたくさんあるんだから分割するな。

余談2.
堤監督の奇を狙った急なギャグという演出ももう限界だな。くっそ寒い。盛り上がっているところでソレやられるとテンション下がるし、ギャグも最近の親父でも使わないようなしょうもないレベルだし。

余談3.
「俺たちが先人類だったんだ。後から来たお前ら死ね!」って大塚英志北神伝綺の山人かと思ったぜ。

余談4.
ハリウッド映画が頭上にある限り、日本人が邦画を見て「CG凄い!」って喜ぶことは無いんだから、邦画はいい加減「俺のCG凄いでしょ自慢」から脱却してください。シナリオ練れ。低予算邦画の「金が無かったからこの安いCGでごまかします」は有りです。それは苦肉の策だし面白いから。

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ダイバージェント

あらすじ:戦争によって多くを失ったが唯一被害を受けなかった近未来のシカゴが舞台。そこでは住民は自らの適性を機械によって診断され、5種類の派閥に分かれて暮らしていた。主人公ベアトリスも自らが務める派閥を決める歳になり適正診断を受けるのが。機械からの返答はどこの派閥適正も持たない「異端者(ダイバージェント)」だと認定されてしまう。行く先を見失ったベアトリスは自らの意思で見出そうと動き出す。それと同じくある派閥が暗躍を始める・・・。
↓予告

感想:
試写会に当選したので一足先に観賞してきた。


「公立高校出身の両親の薦めでなんとなく公立高校を目指していたベアトリスちゃんは、両親の淡白な生活スタイルにゲンナリし町中を奇声をあげて暴走するDQN高校の生徒に密かに憧れを抱いていた。両親に内緒でDQN高校に入学し見事DQN高校生になったベアトリスちゃん。DQN高校の寮に入りDQN高校生として自由な生き方が出来ると思っていたらDQN高校は体育会系の競争社会だった。嫌味な体育教師はムカつくけど、副担任のフォー先生は口は厳しいけどいろいろ教えてくれて大好き。こうなったらフォー先生の為に私頑張っちゃう!って、うちの学校に隣の秀才高校の奴らが出入りしているんですけど・・・」

って感じの話が2時間20分の大半を占めている。
予告編を見た印象だと「管理社会からイレギュラー認定を受けた主人公が社会を統治している奴らに追われ、イレギュラーや管理社会を良しと思わない連中が集まったレジスタンスに所属し管理社会の真相を暴く話」だと思っていた。リベリオンみたいなよくあるSF映画の王道的な奴。
が、実際に観に行ってみるとそうゆう要素もあるけど予告編で伝えている部分は終盤の20分くらいで1時間は友情と訓練パートに分かれていて、その世界の謎も小出しにいろいろ紹介されるが結局昇華できないまま終わった。実に巧妙な嘘予告編だったので予告編製作会社には天才的な嘘つきかMAD製作者が潜んでいる可能が高い。

あらすじで「住民は5つの派閥に所属していた」と書いたが「アレは嘘だ」(コマンドー
本当は5つの派閥+無派閥の6つだ。そして映画的には、主人公の両親が所属する『無欲を司る「アブネゲーション」』と主人公の所属する『勇敢を司る「ドーントレス」』と兄貴が所属する『博学を司る「エリュアダイト」』の三つが主要な派閥で、残りの『平和を司る「アミティ」』と『高潔を司る「キャンダー」』と無派閥の三つは存在するが物語に絡まないのでいてもいなくてもどーでもいい奴らの集まりになっている。実に勿体無い。*1
予告編で「人の人生はたった一回の性格診断で決められた」と言っているがアレも嘘だ(コマンドー
性格診断によって適性が割り出されるが、別に強制ではなかった。適性を知った後に選択の儀式で自ら選べるので結局は自分の望む派閥を選ぶことが出来る。本人の自主性を重んじているのかもしれんが、結局本人が好きな派閥を選べるというのはちょっと非効率のような気がする。
予告編でかっこよく銃を構えて『勇敢』とか書かれているがアレも嘘だ(コマンドー
あいつ等が映画でやっていることはヤマカシごっこが大半で、無賃乗車の鬼であった。室内では相撲界で言う「かわいがり」となかなかハートフルな集団である。
その他、いろいろ「アレは嘘だ」という展開が多く、「アレってなんだったんだ?」という謎も多く残るのが気にするな。続編も製作予定らしいぞ。ハンガーゲームやトワイライトに倣って、三部作らしいぞ。

全体的な話をするとハンガーゲームの試合前の訓練パートを長くして生徒同士の殺し合いを無くした感じの映画です。アメリカで400万部売れた小説の実写化らしいのですが、映画内容を見た限りだと日本で言うと「あの有名ラノベが実写化!!」的なノリのような気がします。
とにかく、主人公の「ドーントレス」での生活が長い。そこのパートをもうちょいうまく使って、青春の描写以外にも世界観や他の派閥の生活なんかを描写してくれたら面白かったのに、スポ根漫画みたいな成長段階の描写と「ドーントレス」の面白い訓練。で1時間くらい使ってしまうのは勿体無かった。終盤の物語の始め方も青春パートで楔を打っておけばよかったのに、そうゆうことをしないからフォーが突然落ちていた薬を拾い上げて「この薬を打ち込まれたら操られて意のままに動く兵団の出来上がりだ!あっぶねー」とか言い出すのは無理がありすぎた。無理といえば、精神世界の行動によってその人間の適性が分かるというのもいろいろ無理があった気がする。鳥を追い払うのに火を振りまわすのは「ドーントレス」ぽい選択だと思ったが、『「ドーントレス」は水槽のガラスを割らない』という台詞には「え?」となった。筋力勝負に出るのが「ドーントレス」だと思っていたのだが・・・。各派閥が選ぶ選択ってのも見てみたかったなー。「アブネゲーション」はすべてのトラブルに対処せず死を選ぶぽい気がする。

終盤の展開は望んでいたもので好きです。
見所は主人公やフォーの戦闘ではなく、主人公のおかんの動きです。超機敏に動きアームズの高槻の母親を彷彿させる意外性なのでぜひ見てください。主人公の親父のシュワやスタローンみたいな棒立ちで殴りこみに行くシーンも面白いです。殴りこみ後の親父から「俺は、主人公じゃないからこうなるって分かっていたけど・・・」と今にも言い出しそうな感じが実に良いです。ラスボスの速効性による強制手のひら返しも面白いので、なんというか熟年俳優の演技が良い。主人公とフォーも頑張っていたけど真面目すぎた。
最後のオチは酷いの一言。
ED後にハンガーゲームみたいに「続編製作決定!」とか告知はありませんでした。



完璧にアメリカの10代後半から20代前半向け映画でした。

*1:終盤の展開を見ると街の司法を担っていそうな「キャンダー」はもっと前に出るべきだったきもするが

トランセンデンス

あらすじ:反テクノロジー団体の凶弾によって余命いくばくかも無い天才科学者を救うべく、妻エヴリンと友人マックスは彼の意識を製作中だったスーパーコンピューターにアップロードしようと試みる。実験は成功し、彼の意識はコンピューター上に復活する。再び目覚めた彼が最初に欲したものはコンピューターを最適化するためのネット接続だった。
↓予告編

感想:
映画館のポイントがまた溜まっていて、予告編も面白そうだったので観てみたら酷い映画で終盤少し寝た。
緑に包まれて電気を失った世界から始まる出だしはドラマのレボリューションのようで少しワクワクした。その後にマックスが「なんでこんな事になったのか。二人の選択が・・・」とか回想を始めて物語が始まる。
「5年前」とか字幕が出る。
人工知能の開発に熱中していたウィルとエヴリン夫妻は資金集めの為に講演会に出演する。ウィルはそこで人工知能が完成すれば、人工知能の学習能力が人間の知能を越える「技術的特異点」の到達が目に見えていることを演説する。そこで一人の青年がウィルに質問をする「あなたは神を作りたいのですか?」ウィルは「人は過去に神を作ってきた」と冗談で返すのだったが、その青年はテクノロジー人間性を低下させる要因だと捉えテクノロジーからの脱却を図ろうと主張する過激派団体RIFTの一員でウィルは銃弾を受けてしまう。傷は浅く命に別状は無いと思われたが、銃弾には放射能物質が塗られていて、彼は一ヶ月の余命だと医師から宣言される。悲しみにくれ、残りの人生を妻と暮らそうとするウィルだったがエヴリンは、他の科学者が猿の意識をPCにアップロードした論文を読んでウィルの意識を開発していたスーパーコンピューターPINNにアップロードさせることを思いつく。乗り気でなかったウィルと友人マックスだったが彼女の熱意に負けて実験に望み、見事ウィルの意識はPC上で再構築される。その姿にマックスは一抹の不安を覚えPCをシャットダウンして少し考えようと提案するのだが、生き返ったウィルの姿に感激するエヴリンは断固拒否。ウィルの望むままにPCをインターネットに接続して彼をネットワーク上に転移させるのだった。ウィルのアップロードを知ったRIFTのメンバーはマックスを拉致し、エヴリンの住まう場所に襲撃を掛ける。身の危険を感じたウィルは株式によって莫大な資産を作り出しエヴリンと田舎町の片隅に引越し、巨大な施設を建設すると隠遁生活を始めるのだった。
「2年後」(5年前の回想なのに2年後って文字が表示されるのは意味分かんない・・・)
その後、なんだかんだあって、ウィルがドンドン画期的な発明をして、その集大成ともいえるナノマシンまで作り出してナノマシンで傷を治したり、ナノマシンで人間操ったりして。エヴリンから「それはないわ・・・・・・それやりすぎだわ・・・・・・マトリックスぽいやん。ディストピア一直線やん」って絶望されて。RIFTもその施設の場所を見つけて、ウィルの超技術に対抗する為にRIFTとFBIが手を組んだりして、旧友のモーガンフリーマンが「なんかいろいろ大変」って呆れるだけの存在として登場したりして。RIFTが「攻撃して、あいつが操る人間を一人拉致ろうぜ。銅線で囲めば電波が遮断出来るってウィルが冒頭で言っていたから、グルグル巻きにすれば確保余裕っしょ」って感じに、USA!USA!って盛り上がって。作戦は、穴を掘って施設の近くまで見つからずにたどり着き、遠目から迫撃砲ぶっ放して混乱している隙を狙うというパワープレイ。田舎町の住民もウィルに操られていたけど、数人しか反撃してくこなくて作戦成功。人間の横暴さに切れたウィルはナノマシンの空中散布を開始し地球上の人間全部操ってやるぜって暴挙に出るんだけど、ウィルに愛想を付かせて施設から飛び出したエヴリンが「ウィルを止めるコンピュータウィルスを私の体に注入して、ウィルは私LOVE勢だから騙されて私の意識をアップロードしようとするはず。そこでウィルもお陀仏よ!」って、元々お前の感情的な行動の結果がごらんの有様なのになんで勇者気取ってんだよ!って俺に思われながら。RIFTの可愛い子ちゃんにゾッコンラブで宗旨変えしたマックスにウィルスを注入されるエヴリン。(ここら辺はもう片目が閉じているくらい寝ぼけていたけど、人間の体にコンピュータウイルスを注入するってどうゆうことだったんだろ。コンピュータウィルス入りのナノマシンを注入されたってことかしら)
ウィルの下に戻り、些細な喧嘩から「実家に帰らせてもらいます」と飛び出した妻が財布を持ってくることを忘れてすこすこと帰宅する姿みたいに、ウィルのことを前面肯定を始めるエヴリン。ウィルはエヴリンが出て行ったのは肉体的欲求不満だと思ったのか生前の自分自身をナノマシンで作り上げ「これでどう?」って登場して、遠くから見ているモーガンフリーマンが「うわぁ・・・」ってドン引き。エヴリンの心変わりにいまいち信用が置けないウィルはエヴリンの身体データを観察し始めるんだけど、(心拍数とか体温とか調べるんだけど、ライ・トゥ・ミー観ろよウィル)ウジウジ待つ事が嫌いなRIFTの筋肉担当が攻撃を開始してエヴリンが重傷を負い、エヴリンを生かす為にウィルはアップロードするんだけど、そこでマックスお手製のウィルスが発動してウィルの影響下のパソコンがぶっ壊れたと思ったら、発電施設もぶっ壊れたらしくて地球上から電機が失われたのであった。
電気が無くてもみんな元気に生きているよ!使えないノートPCはドアストッパーに最適!!って崩壊した世界に生きるマックス。「インターネットは便利だったけど、人間同士の付き合いを過疎化させていたよねー」って、新橋で酔い潰れる50代のサラリーマンみたいな言葉を吐くマックス。
ウィルとエヴリンが生前住んでいた家には二人の生まれ変わりのようにひまわりが二輪寄り添って咲いていたのでした・・・。って、最初に見せたシーンが何の落ちも無くラストシーンって斬新すぎるだろ!
ED後に、古ぼけたPCが突如起動して「誰かいないか?」とか、続編を匂わせる終わり方をするかと思ったがそんなことは無かったぜ。
最終的に、映画最初の製作会社のロゴの前に、「コンピューターの進化って凄いよ。もう何でもありだよ」って前置きを言っていたのは爆笑問題でしたって教えてくれる。滝藤賢一だと思っていた。
声優に坂上忍がいましたって教えてもくれるけど、誰だったか分からん。ジョニーデップとモーガンフリーマンはいつもの声優さんだった。(wikiみたらPINNの声が坂上忍のもよう)

ここまでざっくり書いたけど。
ナノマシンが強盗に襲われたおっさんや障害者を治療して、ウィルが神様のように奉られる展開までは面白かったんだけど。話が終盤にいくにつれてどうもやぼったくなっていて、ウィルは世界一頭の良い存在になったのに、勢力圏を田舎町から広げようとしないから舞台の枠がせまいし、エヴリンは心の葛藤というよりも、思春期の餓鬼みたいにカリカリしているし、RIFTはPCや電子機器はウィルにハッキングされるからって山奥でキャンプ的なことを始めるし。どーも、壮大な事を書き始めたのに物語がちっさくてダメだった。
脚本が伝えたいことは、反テクノロジー団体の癖にパソコンを使ってハッキングして居場所を特定したり、RIFTとFBIが組んだり、ネットワークによって繋がれた人間の存在とか、魂の所在とか、そういった0と1では割り切れない矛盾を含んだ世界ってのが現代だと伝えているんだけど。脚本を書きなれていない人にありがちなテーマが前に来すぎていてエンターテイメント性を失ってしまっているんだよね。
人間の意識をネットワーク上にアップロードするなんて聞くとちょっとワクワクするけど、日本では攻殻機動隊が何十年前から使っていたネタだから、攻殻クラスとは言わないけど、それなりにソコを掘り下げておかないといけなかったのじゃないだろうかとも思う。
後は、これは好き嫌いの問題だけど。サイエンス映画ぽいのに最後を恋愛要素で終わらせるのはダメ邦画の基本だからハリウッドは真似しなくていい。


暇つぶし程度の映画なのでDVDで観ることをオススメします。

戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版

あらすじ:投稿された不可解な映像から怪奇現象の謎を究明する為に検証取材を行い、その模様をDVDにして販売しているディレクター工藤、アシスタントディレクター市川、カメラマン田代の三人。今度の取材先は、一度足を踏み入れたら発狂して死んでしまう呪われた村「タタリ村」への突撃取材。劇場版らしく売れないアイドルや気の弱い科学者、縁のある暴言霊能力者などを引き連れてタタリ村に向かうのだが、その村には隠された歴史があり、それは工藤の過去と繋がっていた・・・。


感想:
戦慄怪奇ファイル コワすぎ!は過去にDVDで5作発売されていますので、そちらをご覧になった上で視聴することをおすすめします。1作目から話がうっすらと繋がっています。劇場版では、過去に登場した人物が大勢現れますので。*1

簡単に1作目から5作目までのあらすじ。精神構造がチンピラヤクザなディレクター工藤がDVDを売る為にショッキングな映像を求めるあまりアシスタントディレクター市川をパシリ同然に使い、心霊映像を投稿してくれた一般人も同様にパシリ同然に使い時に暴力を行使して衝撃映像を狙うドキュメンタリー風のホラーDVD。大体工藤の暴走によって事態が悪化して誰か死んだり失踪したりする。工藤は第一作目で手に入れた髪の毛で編まれたミサンガ状の呪具をコブシに巻きつけて幽霊に取り憑かれた人間を殴るという自己流の除霊方法を使って物語を解決させたり悪化させたりする。第5作目でなんだかんだあって呪具は進化する。(シリーズ後半で語られるが、クトゥルフ体系を含んでいる)

劇場版では、シリーズ全体にちりばめられていた小さな謎が一気に集結して一つの大きなストーリーへと昇華している。シリーズの各話で語られる工藤の過去、シリーズ2での夕子と先生、シリーズ3での巨大夕子、シリーズ4の謎空間とタイムスリップ、シリーズ5のお岩さんの謎。それらの謎が適当に明かされたりする。

内容、タタリ村に突入した男女の投稿映像と女性の失踪・男性の自殺未遂から。あの村には何かがあると予感した工藤はシリーズ5で知り合った宇龍院道玄と科学者、売れないアイドル、市川・田代を引き連れてタタリ村に潜入する。人気のない廃村に見えたが随所に置かれた積まれた石の山や棒に刺さった動物の頭など来るものを寄せ付けないようにする気配がはびこっていた。道玄も工藤に警告をするのだが工藤はDVDを売る為に聞く耳を持たない。かくして、彼らは村にたどり着き村に棲まう怪異を呼び出そうとするのだが。彼奴のチカラは道玄の予想を越えていてアイドルは取り憑かれ発狂し、道玄も幻覚を見て森に逃げ出してしまう。道玄を捕まえる為に後を追う工藤と科学者だったがそこには血まみれで立ちすくむ道玄の首がねじれるとポーンと生首になり二人に襲い掛かってきた。どうにかこうにかその場を逃げ出すが、科学者は何者かに操られ消失し、アイドルも後を追うように消える。残った三人は、村の過去を調べ始めるのだった。
村の過去を知る人間に暴行を働き情報を得た三人は、村の下に眠るもの、工藤の過去と対面する。
村の意思を継ぐ為に協力を求める声に、工藤は頭の中にリフレインする「運命に逆らえってな」という声を信じ断固拒否、そして暴力による制裁を加える。
その後、なんだかんだあるけど、もう筆舌しがたい状態。

このシリーズの面白さは、シリーズ1ではドキュメンタリーぽく作られているが、シリーズ2からモキュメンタリーだってみなさん知っていますよね。という前提で嘘を過分に配合している点だと思う。ゆえにシリーズ1はそれほど面白くないが、視聴者に作品を見る姿勢を教えてくれる。「工藤という暴力ディレクターとそれに振り回される市川とカメラマン田代がいる。彼らは投稿映像の検証が仕事、工藤は衝撃映像の為ならなんだってやる」この肝をシリーズ1では伝え、シリーズ2では、そこから飛躍する。彼らは投稿映像を検証を行うにつれて、UFOや謎の男”先生”、怪現象と出会っていく。物語がドキュメンタリーからSFにシフトしていくのだ。その結果、シリーズ2では先生がスカイタワー前で消失するという衝撃映像をカメラに収めることに成功する。そこからシリーズの方向性がはっきりと決まり、シリーズ3では河童を捕獲する為に陰陽道を使う農夫と組んで河童と相撲をとるという展開に持っていく。もうSFですらない。シリーズ4ではタイムスリップ。シリーズ5では旧神の復活を阻止。とSFというよりも少年漫画のノリになっていく。もはやドキュメンタリーの体は大体の映像は田代が撮影しているという点のみになってしまう。
そこに心霊でも人間でも暴力で対抗しようとする、シリーズを重ねるごとに肝が据わってケバくなっていく市川という濃厚なキャラクター、一癖のあるゲストキャラが加わり物語をかき回していく。
ドキュメンタリーではありえない先の読めない展開こそがこのシリーズのミソであろう。
劇場版でもその先の読めない展開は炸裂し、ラストのオチでは誰もが驚嘆するだろう(いい意味でも悪い意味でも)


余談1
劇場版では、邦画お得意の恋愛要素を入れ込んでいくかと思ったが、そんな事無かったぜ!

余談2
結局あの選択は「運命に逆らった」のだろうか・・・。

余談3
ニコ生放送では工藤・市川・田代の三人がコメントで参加してくれたけど、工藤・市川の二人があんな場所からユーザーの1000円によって召還されていたという事実が一番驚いた。

余談4
個人的にシリーズ4の花子さんが一番好きです。
いろんな作家がタイムトラベルの方法を考えていて、タイムトラベル出来る理由を、機械だったり超能力だったり魔法だったり脳手術だったりいろいろ案を出していているのに、「俺、本で読んだんだけどこの先生、こうゆう場所じゃタイムスリップ出来るんだよ」という一言でタイムスリップ出来る理由を説明した作品はコレくらいだよ。

戦慄怪奇ファイル コワすぎ!  史上最恐の劇場版 [DVD]

戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版 [DVD]

*1:現在、ニコニコ動画で過去のシリーズを有料配信しておりますのでそちらをご利用になった方がTSUTAYA巡りをするより楽です